◎パレード

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◎パレード
吉田修一
幻冬舎文庫


 「宇宙」は複雑な要素が交じり合って無限の空間へと広がっていくのか。それとも、あらかじめ想像を絶するような広大な空間があり、我々人間の小賢しい知恵や知識で複雑に矮小化してしまっているものなのか。ここに描かれている世界は「生活」以外の何ものでもない。まるで生活者の一人一人の中に矮小化された「宇宙」があるようでいて、読後にはその宇宙の果てしなさを想像してしまい眩暈を起こしそうになった。
 その読後の感想が出口とするならば、入口はワゴンに置かれた3冊二百円の特価本ということになる。一冊百円にも満たない買い物で得られる無限の宇宙。そう思うと少し恐ろしい気がしてくる。
 にわか読書人は吉田修一なんて名前は知らなかったし、この『パレード』という本も知らなければ、そもそも3冊二百円にこの本をチョイスした動機も忘れてしまった。さすがに「何かに導かれたような…」などという少女趣味的なことは書きたくないが、偶然であるにしろ予備知識無しに本書に触れられたことは幸運だったと思う。

 【都内の2LDKマンションに暮らは男女四人の若者達。それぞれが不安や焦燥感を抱えながらも、“本当の自分”を装うことで優しく怠惰に続く共同生活。そこに男娼をするサトルが加わり、徐々に小さな波紋が広がり始める。】

 そこに誰かが居ればひとりになりたいと感じ、ひとりが続くと温もりがほしくなるという平凡な天邪鬼である私としては、2LDKのマンションに5人が住むという空間に耐えうるだろうか。『パレード』のように、たまたま共同生活という形なるのなら許容できるのだろうか。あらかじめ5人で住みましょうといわれれば絶対にそんな話は断ってしまうに違いない。
 かつて私と彼女、その彼女の友達とその彼氏という2組のカップルで2Kのアパートでルームシェアした体験があるが、最初のうちはカップルの片割れ同士が部屋に残ったときの居住まいの悪さたらなかった。それでも慣れてしまえば住めば都で、それこそ襖一枚向こうの隣人のことなく気にならなくなってしまうのだが、今度はそういう共同生活から立ち昇ってくるヌルい空気と、そこに安住しそうな自分に耐えられなくなり、とうとう相手にお引取りを願った経緯がある。たまたま彼女が部屋の名義人であったので居残る立場となったのだが、逆だったら私から出て行ったと思う。

 物語は個性溢れる若い男女それぞれが第五章からなるエピソードを背負いながら、おそらくは長くは続かないだろう緩い共同体を描いていく。主観と客観がそのまま干渉と無関心という形に構築され、どこか緊張した空気が徐々に膨張していき、最終章で物語そのものが膨張に耐えられず破裂するのかと思わせて、破裂した後にまた危うい日常が再生されていくような予感を抱かせて幕を閉じるのだが、その繰り返しを「宇宙」に見立ててしまった私自身に少し驚いたという不思議な読後感だった。

 「宇宙」が果てしなく広がっていくものではなく、無限に閉じていくものであるのだとすれば、それはかなり恐ろしいことではある。


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