◎チルドレン
◎チルドレン
伊坂幸太郎
講談社文庫
連作短編ということだが、時系列と語り手を巧みに前後させて小説全体を形成していく。さらにこれを巧みに操ることで、平板な物語が途端に重層的な奥行きを見せて、大きなワールドを形成する。伊坂幸太郎が得意中の得意とするところだ。
【「俺たちは奇跡を起こすんだ」独自の正義感を持ち、いつも周囲を自分のペースに引き込むがなぜか憎めない男、陣内。彼を中心にして起こる不思議な事件の数々――。】
それにしても、、、、伊坂幸太郎を連続して追いかけていたことなど、ほんのついこの間のことだと思っていたが、何と最後に読んだ『重力ピエロ』は7年前の読書であり、初めて読んだ『陽気なギャングが地球を回す』からすでに11年が経つ。
何とも歳月の流れの早さには呆然としてしまうのだが、あの時期、間違いなく文壇の若手トップランナーだった伊坂はこの間、どうだったのだろう。
私自身が読書から遠ざかっていたので確かなことはいえないが、印象としては全力で突っ走っていた感のあるあの頃と比べ、随分と歩みを抑えていたのではないかと思われる。悪くいえば殆んど目立っていなかった。
そしてその間に東日本大震災が起こる。この『チルドレン』もそうだが、地元である仙台を舞台にすることの多い中で、そこに伊坂の変節があったのかどうかは知らないまでも、作家としてあの震災に思うことも大きかったのではないかと思うのだ。
ならば震災その後の伊坂作品を読んでみてもよかったのだが、『チルドレン』は震災前に書かれた連作短編だったのが我ながら何とも・・・
「何気ない日常に起こった5つの物語が、一つになったとき、予想もしない奇跡が降り注ぐ。」と裏表紙にあるが、何ひとつとして「何気ない日常」の出来事ではない。銀行強盗に直面したり、誘拐事件や少女売春に絡んだり、かなりとんでもない状況に主人公たちは遭遇している。その主人公たちもまた独特の個性と世界観を持ったキャラクターたちなので、妙にファンタジックな気分にさせられてしまうのだが、それが、本当に「何気ない日常」描写の中で語られると、本当に平穏な一日の一瞬のことのように思えてしまう。そうだった、これこそが伊坂幸太郎節だった。
なにせ確実に世界が終わることが分かっている世界で「何気ない日常」を描き切った作家だ。この感じを凄く懐かしいものに思えたのは、伊坂を最後に読んでからもう7年が経過しているという証左なのだろう。
ここに登場する陣内なる人物が伊坂作品の通奏低音になっている“神様のレシピ”の代弁者、または実行者であるのは間違いないとしても、こういうすべてを達観したような人物のボキャブリーの数々を披露させるとこの作家は本当に上手い。
そう伊坂作品の見どころに「語り」の面白さがあり、『チルドレン』でも陣内の口から出るセリフに思わずニヤリと場面に出会うことが出来る。
しかし我々は誰ひとり陣内になることは出来ない。陣内という存在そのものはあくまで第三者からの“評価”のみに存在し、奇特な偶像と捉えているからこそ“神様のレシピ”の代弁者として崇めることになるのだが、陣内自身の胸の中ってどうなのだろうとストーリーを追いながら、そんなことも考えていた。それが今までの伊坂作品の揺るぎないまでの「“神様のレシピ”の代弁者」たちとは違うところかもしれない。
ここに陣内ともうひとり、「永瀬」という全盲の若者が登場する。作中でははっきり陣内は永瀬に一目置いているように思われる。実際、永瀬が銀行強盗や女子高生の愉快犯のからくりを読み解く場面での陣内の影の薄さはどうなのだろう。何事も見透かしている風な陣内もここでは永瀬の推理ショーの観客に成りきっている。私はそこに陣内の「何者でも無さ」を感じてしまう。
そしてその「何者でも無い」陣内は、父親への確執に憤るひとりの等身大の若者であり、その確執を乗り越えることになる最後のあまりにも可笑しなオチに陣内への共感、さらに『チルドレン』の痛快さがあるように思うのだ。
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