◎ソロモンの偽証/第Ⅰ部・事件

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◎ソロモンの偽証
      第Ⅰ部 事件

宮部みゆき
新潮社


 本来ならば三部作まとめてレヴューすべきなのではないかと迷った。第一部では(おそらく)事件の初端が描かれているに過ぎないのではないか、いくら740ページあろうが、全貌が見えてこないうちに感想文など書いていいものかどうか。
 しかし、第一部が今夏より刊行され、ひと月に一冊づつ発売して、先日、第三部が出揃った。発売日が違うのだから、まずは第一部のレヴューから始めたほうが、この本を読んでいる私自身のドキュメンタリーになれば面白いのではないか。本音をいえば、こんな駄文を綴っていないで、はやく第二部を読みたいという衝動にも駆られている。

 【クリスマスの朝、雪の校庭に急降下した14歳。彼の死を悼む声は小さかった。けど、噂は強力で、気がつけばあたしたちみんな、それに加担していた。そして、その悪意ある風評は、目撃者を名乗る、匿名の告発状を産み落とした。新たな殺人計画。マスコミの過剰な報道。狂おしい嫉妬による異常行動。そして犠牲者が一人、また一人。学校は汚された。ことごとく無力な大人たちにはもう、任せておけない…。】

 宮部みゆき「五年ぶりの現代ミステリー巨編!」と新刊本の帯に記されている。確かに巨編だ。ズシンとしたぶ厚い一冊おそらく文庫化されるときには全6巻ぐらいの分量になるだろう。まさに読書の秋にはうってつけの大作で、三部作が出揃った時点で一気に購入した。期待はただひとつ『模倣犯』の時のように無我夢中になって小説世界に没頭したい。それのみだ。

 驚くべきことに巻末の初出には「小説新潮」(2002年10月号~2006年7月号)とある。何と十年前から宮部みゆきはこの小説に着手していたのだ。何たるスパンで書かれた物語なのだろう。
 本に挟まれていたリーフレットには「この10年、私はずっとこの作品の中に“留年”していました。やっと卒業です。嬉しいけれど、淋しい。自分のうしろでゆっくりと門が閉じてゆくのを見つめているような気持ちです。」と、宮部みゆきの手書き文字が添えられている。十年もかけて単行本が発刊されるのだから万感も思いもあるのだろう。こちらはせいぜいその歳月を一気読みしてしまう贅沢を味合わせてもらうことにする。

 しかし『ソロモンの偽証』は、少なくとも第一部は静かに幕を開けたという印象だった。大仰に「プロローグ」などという序章も設けず、宮部みゆきは淡々と登場人物たちの人となりや心情を語り、事件前と事件後の事実描写を積み重ねていく。
 『模倣犯』で見せた手に汗握るスピード感はまったく感じられない。中学校が舞台なだけに書き味としては『小暮写真館』に近い青春ものという雰囲気が全体を包み込んでいる。
 もちろんカテゴリーとしてはミステリーなのだろうから、柔らかい心情描写ばかりではなく、「事件」に影響される人々の恐慌はそれなりに激しい痛みを持って語られる場面も少なくない。
 とくに三宅樹里や垣内美奈絵が激しい嫉妬に駆られ、被害妄想が噴火したような独善的な独白が続くあたりは「この小説、大丈夫だろうか」と疑心に駆られたりもしていた。
 それにしても女性作家のある種の女性像に対する一片の容赦のない書きぶりは恐ろしい。笑われるかもしれないが、私など所詮はガチガチの性善説者なのだと女性作家によって思い知らされることが少なくない。未だに女は男に比べるといくらかは優しい心を持っている筈という勝手な願望を女たちは根こそぎ吹っ飛ばしてしまうのだ。
 「事件の陰に女あり」の常套通り、女性作家のほうがミステリーの書き手としての資質は備わっているのかもしれない。男にしか書けないミステリーもあるだろうが、女にしか書けないミステリーとのポテンシャルの差は歴然としている気がするのだ。

 クリスマスの夜に雪で埋まった学校からひとりの生徒の死体が発見される。状況から自殺だと断定される。実際、今、世間を驚愕させている尼崎の連続死体遺棄事件などに比べると、それほどセンセーショナルな事件ではない。
 しかしそれは世間というフィルターの向こうにいるのだからそう思うだけで、実際、事件の当事者だとするとどうだろう。宮部みゆきの巧みなところは我々を世間のフィルターから知らず知らずの内に当事者の立場まで誘導してしまうところにある。
 生徒の自殺となると当然、学校の対応が注目を浴びる。その学校内の描写が実に緻密だ。舞台となる中学校の校長も教職員も真摯に事件に取り組み、涙ぐましい努力で問題と対峙でいるのはわかるのだが、「ここは彼らの心情を汲み、この場だけのことで納めておきましょう」と、その時点ではベターだと思われた善後策が、世間のフィルターを通してしまうと、重要なことを隠蔽しているのではないかと疑われることになる。理不尽とも思えるのが恐るべき世間というものだろう。
 その世間への尖兵となってマスコミ報道が暴走する。標的にされるのはまだ14歳の生徒たちだ。自殺と断定されるような事件でも、読者を当事者側に踏み込ませることで、世界の誕生から終わりまで書けそうな740ページの分量をものともしない。このあたりの展開は相変わらず上手い。

 さて、凡その登場人物は出揃った。どうやら主人公は藤野涼子という明朗な女子中学生に決まりのようだ。警視庁捜査一課の父親はどう絡むのか。友達の古野章子、倉田まりこは何らかの形で事件に巻き込まれていくのか。野田健一は、ジャーナリストの茂木悦男は。そもそもこの物語の主要人物たちはずっと中学生のまま進んでいくのか。それにしては1990年という時代設定が気になる。
 一体、この後『ソロモンの偽証』にはどんな世界観が待ち受けているのだろう。実はこの第一部では何もわかってはいない。何せ犯人がいるのかいないのすらわからないのだ。これでよく740ページも読ませてしまったものだ。
 では、そろそろキーボードを叩くのを止めて『第Ⅱ部 決意』の読書に取り掛かることとしたい。


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