◎それから

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◎それから
夏目漱石
新潮文庫


 「時代の価値観」について考えざるを得なかった。
 これが書かれた明治の世にモラトリアムとかナルシシズムという言葉が通常概念として存在していたのかどうかは不明だが、要はそんな主人公の苦悩を描いた小説であり、位置づけとして『それから』は『三四郎』『門』と三部作を形成しているという。

 【代助は友人平岡に愛する三千代をゆずり自ら斡旋して2人を結びあわせたが、それから三年、ついに代助は三千代との愛をつらぬこうと決意する。「自然」にはかなうが、しかし人の掟にそむくこの愛に生きることは二人が社会から追い放たれることを意味した。】

 『三四郎』は既読。旧帝大のキャンパスの雰囲気と当時の世相風俗の青春譚としてそれなりに面白く読んだのだが、第二部となる『それから』はひたすら明治という時代に新たな自我を抱いてしまった主人公・代助に迫ってくる強迫観念が延々と綴られ、最初からかなり息苦しい読書となった。
 物語の中枢は代助と友人の妻・三千代との不倫を描いたものではある。しかし、これを恋愛小説と呼ぶべきものなのかどうかとなると、私にはそこはかなり希薄なものに思えた。
 全編、代助の内面描写が強調され、三千代の存在があまりにも代助の印象の中だけに封じ込められていることで、そこに男女の情動を読み取ることが出来なかったというのもあるが、ならぬ恋心に埋没していく姿を描くのではなく、その恋を成就させるために払わなければならない自己のアイデンティティの喪失というものを、漱石は明治文明という時代の対立の中で突き詰めていったように思う。
 25年前に仕事で関わっていた森田芳光監督、松田優作主演の映画のことはすっかり忘れてしまったが、この小説の主人公は私にいわせれば冒頭から巻末まで、明治という文明の変革が生み出したモラトリアムの権化であり、ナルシシズムの怪物だった。

 代助がどんな人物として紹介されているかといえば、勤皇の侍として倒幕に邁進し、今や実業家として名を成した父親の庇護の下で、無職だが生活の不自由なく日々を趣味的に過ごす青年であり、明治の世にあって洋書を読む教養を身につけ、朝食にはバターを塗ったトーストに紅茶を楽しむという高等遊民だ。
 そして「馬鈴薯がダイヤモンドより大切になったら、人間はもう駄目である」と考え、「目的を持って歩くのは賤民だ」と平生から信じている人物として描かれている。
 このような価値観を抱いてしまった代助であるために、俗世間や他人との折り合いには常に苦悩がつきまとうことになる。漱石は「人と応対している時、どうしても論理を離れる事の出来ない場合がある」人間であるため、「それが為、よく人から、相手を遣り込めるのを目的とするように受け取られる」と代助を説明する。
 俗世間の正義からすれば、代助のような人物を容易に受け入れることは出来ないに違いない。現代においてもそうなのだから、明治の価値観では尚更だろうと思う。職業も収入もない男が、人妻に恋慕するのはかまわないが、手紙ひとつを届けるのに使いを差し向けることひとつとっても、代助という人物は本来的に読者の共感圏外にいる。

 「自然の児になろうか、又意志の人になろうかと代助は迷った」
 それでも漱石の語り口の巧さなのだろう、代助が三千代への想いを確としたあたりから高等遊民の理論と時代との相克を捉えながらも、一気に人間描写の深遠まで雪崩れ込んでいく。
 代助は「むりにも一等国の仲間入りをしようとするが、日本ほど借金をこしらえて貧乏震いしている国はない」と断言するように、時代の価値観の中で自身が孤立していることは自覚している。そしてそのことに反発するのではなく、折り合いをつけることで生活が保障されていることの矛盾にある種の自己憐憫も抱えている。そのことで常に強迫観念に見舞われている代助に次々と負荷をかけていく漱石の心理描写は凄まじい。

 漱石自身が『それから』という題名には様々な意味合いを込めたという。『三四郎』のそれからでもあり、代助のそれからでもある。代助のそれからとは、家族と訣別し、平生の理論とも訣別したあとのそれからとも受け取れる。
 正直、代助がそれらと訣別するのは既成事実として必定ではあるのだが、強固な意志のもとで敢然と高等遊民であることから訣別し、定職を得て唾棄すべき俗世間の中に塗れながら三千代との愛に邁進していく決意なのかというと、そこまでは読み取れなかった。
 むしろナルシシズムを捨て、モラトリアムから脱却せんとする旅立ちを綴るという単純な構成とはとても思えない。何もかも真っ赤に塗り潰されていく結末を読むと、時代が生んだ理論の化け物が、退路を断たれたことで、個人の自由と情実を毫も斟酌してくれない器械のような暗黒の社会に堕ちていく恐怖に立ち竦む代助の姿が見てとれる。

 私が文の冒頭で「時代の価値観」について考えざるを得なかったと書いたのは、代助の頭が焼け尽きるまで運んでいく電車が時代を走りながら、それからの歴史が大きく軋んでいくことを知っているからだった。


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