▲チケット1992-93上半期
1992.01.30 大田区体育館
【新日本】長州、馳×藤波、野上/斎藤彰俊×小林邦昭
★突如、勃発した小林邦昭と斎藤彰俊の決着マッチがメイン終了後に行われるという騒然たるムードに乗って蒲田まで駆けつけた。こういう殺気立った空気こそ新日本だ。
1992.03.01 横浜アリーナ
【新日本】坂口、S小林×タイガー・ジェット・シン×上田馬/長州、木村健×A猪木、木戸
★懐かしのヤマハブラザーズから初代タイガーマスク、坂口、ストロング小林などが復活したレトロ大会。なにやら昨年から記念大会を乱発する新日本だが、今思えば上田馬之助の勇姿を見た最後の試合となったか。どうも新日本の横アリはしょっぱくなるパターンが多いが、この大会は稀に見る面白さだった。しかしチケット一万円は張り込んだものだ。
1992.04.18 東京体育館
【SWS】藤原、維新力×北原、仲野信/阿修羅原×G高野/佐野×チャボ・ゲレロ/天龍×リック・フレアー
★巨大会場が多くコンピューターチケットが主流だったSWSとしては私が所有していた唯一の実券。トレードマークの恐竜に象徴されるように、このお騒がせ団体は資本の論理を理由に時を置かずに絶滅してしまう。一体なんだったのだろう。
1992.04.30&05.01 エクスプロージョンツアー
【新日本】小林邦×斎藤彰/獣神サンダーライガー×保永/ライガー×エル・サムライ/長州×スコット・ノートン
★ジュニアの祭典の最終が国技館で、追加特別興行が千葉という変則的な日程。恐らく外人勢が成田から帰国しやすいためなのではないか(笑)。小林が斎藤に雪辱をするも、もうそこは普通のプロレスになっていた。サムライが大健闘し、長州のラリアット11連発が今でも記憶に新しい。
1992.05.17 大阪城ホール
【新日本】ビッグバン・ベイダー×トニー・ホーム/A猪木、馳×B・レイガンズ、M・ランボー/長州×武藤
★とにかく猪木が特別参戦した試合は大阪だろうが福岡だろうが駆けつけていた。あの頃は仕事に忙殺されながらも猪木を観るために大阪まで飛ぶ自分自身の迷走も楽しんでいたような気もする。試合は殆ど記憶にないが、城ホールの観客の反応だけは妙に憶えている。
1992.07.04 横須賀市総合体育館
【全日本】G馬場、田上×アブドーラ・ザ・ブッチャー、G・キマラ/三沢、川田、小橋×S・ハンセン、J・エース、B・フォロウィッツ
★首都圏の範囲とはいえ全日本の地方大会に行った最初で最後の大会。試合の方は鶴田は欠場だったことだけ憶えている。
1992.07.08 横浜文化体育館
【新日本】蝶野×エル・サムライ/武藤×飯塚/馳×佐々木健/藤波×リチャード・バーン
★藤波の復帰戦で、とても異種格闘技戦らしい好試合とは言い難かったが、最後に放送席の長州を指差して通路に消える藤波と、笑顔満面の長州は何故かカッコよかった。
1992.08.04 大田区体育館
【オリエンタル】荒谷×松崎/剛、ジェシー・バー×ブルース・ブラザーズ
★大仁田の成功に続けとばかりに剛竜馬も旗揚げ。多団体時代がいよいよ本格化して、さてどんなもんかいと会場に駆けつけた。試合終了後に本日の試合のビデオを売るという試みは画期的だったように思う。この団体はいつ潰れたのかすら記憶にないのだけど。
1992.8.10−12 両国国技館
【新日本】リック・ルード×橋本/武藤×スティーブ・オースチン/ルード×橋本/蝶野×武藤/蝶野×ルード
★しかし新日本のチケットに印刷されたNWAの3文字。まったく時代は変わったものだが、この両国3日間のチケットを手に入れるため、六本木で一夜を明かしたことを鮮明に思い出す。S・オースチンなんて後にこそビッグネームとなるのだが、この当時は髪もふさふさの好青年然としていた。しかし全日本が生かせなかったルードを新日本が光らせるという、80年代までは考えられなかったことが普通に起こってしまう時代でもあった。
1992.09.15 横浜アリーナ
【WAR】越中、木村健×冬木、北原/ジ・アンダーテイカー×キング・ハク/リック・フレアー×天龍
★全米プロレスツアーの旅の余韻も残っていたWARのビッグマッチ。何せ天龍のWWF戦の相手王者がフレアーになるかサベージになるかが決定する瞬間をペンシルバニアの郊外で目撃していたのだから、この大会は感慨もひとしおだった。
1992.09.23 横浜アリーナ
【新日本】グレート・ムタ×橋本/リック&スコット・スタイナー×馳、佐々木健/蝶野×スティーブ・オースチン
★やはりどこか弛緩してしまった新日本の横アリ大会。この頃の蝶野はG1制覇で一気に名を上げては、秋以降に萎ませることの繰り返しだったように思う。今にして思えば凄いカードだが、メインは今ひとつのインパクトだった。
1992.10.11 横浜文化体育館
【全日本】渕×小川/スタン・ハンセン、ジョニー・エース×小橋、川田/三沢×田上
★新日より半年遅れて全日も20周年。アニバーサリー仕様の洒落たデザインが目を引く。それにしても、かつてはハマの本場所ともいわれた文体のなんと丁度いい空間よ。
1992.10.21 日本武道館
【全日本】J鶴田、A・T・ジャイアント、T・ゴディ×G馬場、D・ファンクJr、S・ハンセン/三沢×川田
★いつもの汎用の武道館チケットではない20周年の重みを伝えたなかなかのデザイン。ひとりづつ入場した「20周年記念6人タッグマッチ」はなかなか味わいがあったが、ほんわかムードを吹き飛ばすメインの三冠戦は壮絶で、多団体時代の幕開けに全日武道館のブランド力を示したといえる。
1992.12.04 日本武道館
【全日本】S・ハンセン、J・エース×T・ゴディ、S・ウィリアムス/三沢、川田×田上、秋山
★「最強タッグ」もかつてのお祭ムードはなくなり、超世代軍からみの激しいものとなったが、外人レスラーたちが日本人と同じテンションで闘っているところは凄いと思った。
1992.12.11 名古屋レインボーホール
【新日本】ヘルレイザーズ×武藤、野上/折原、ウルティモ・ドラゴン×獣神サンダーライガー、金本/馳×蝶野
★店を明けた頃で殆ど休みが取れない状態で、何とかシフトが埋まったのでプロレスに行きたいと思って日程を調べたら名古屋だったので、名古屋に行ってしまったというアホみたいなことをやった。もうアメリカまで行ってしまうと怖れるものは何もないという状態で、この年は阪神タイガースも強くて大いに気になっていたが、こと行動力ということに関しては30代のこの頃が一番あったような気がする。
1993.02.14 東京体育館
【WAR】ビッグ・ジョン・テンタ×キング・ハク/長州×阿修羅原/天龍、石川敬×藤波、馳
★遂に二人の龍が絡むという事で駆けつけた東京体育館。天龍と藤波がリングに並んだ瞬間の違和感こそが対抗戦の醍醐味だといえる。こういうときの藤波のマットさばきには唸らせるものがあった。
1993.02.16 両国国技館&
【新日本】長州、藤波、馳、木戸、飯塚×天龍、阿修羅原、石川敬、冬木、北原
★俄然盛り上がった天龍と新日本の軍団抗争だが、単なる軍団ではなくちゃんと興行会社として登記した団体同士の対抗戦になっているのは案外珍しいのではないか。
1993.04.02 横浜アリーナ
【全日本女子】D雅美×長与/井上貴、井上京×C鈴木、尾崎/D関西×堀田/北斗×神取
★こちらが一番の老舗プロレス団体だぜとばかり、時計の針が翌日になっても続けられたマット史上による大決戦が女達によって達成された。とくに北斗と神取の死闘は壮絶な死闘となり、後々、この大会を目撃したことを自慢したくなる稀有な興行となった。
1993.04.06 両国国技館
【新日本】西村×石沢/ヘルレイザーズ×蝶野、飯塚/阿修羅原、SSマシン×藤波、木戸/長州×天龍
★長州が借りを返して天龍に激勝した試合だったが、やはり最初のドームのインパクトには適わなかった。むしろマグニチュードの震源は猪木の呼びかけに応じた藤原の登場にあったような気がする。
1993.04.21 横浜文化体育館
【全日本】田上、渕、小川×川田、小橋、菊池/スタン・ハンセン×三沢
★本日を以って超世代軍は解散という記念すべき武道館大会で、三沢たちの壁はハンセンひとりに絞られたことを明確に打ち出したのではないか。
1993.05.03 福岡ドーム
【新日本】/ライガー×初代タイガーマスク/ヘルレイザーズ×蝶野、橋本/ハルク・ホーガン×グレート・ムタ/A猪木、藤波×天龍、長州
★何ともド派手な福岡ドーム決戦。大会当日そのものよりも、「よっしゃ博多に行くべ」と思い立った瞬間に遠征の醍醐味があるような気がする。
1993.06.06 大和車体工業体育館
【新日本】P・キッド×D・マレンコ/E・ゲレロ×サムライ/越中、斎藤彰、木村、カブキ×武藤、橋本、馳、小原
★自宅から最も近いプロレス会場として、ここ数年は馴染んできた。カブキに執拗に絡んでいく武藤が面白く、「グレート・カブキの息子」というムタの原点帰りを予感させた。
1993.06.25 後楽園ホール
【新日本】北原×小林邦/阿修羅原×斎藤彰/SSマシン×青柳/木村健×H斉藤/石川敬×越中
★タイトルにもあるように越中詩郎を中心とした反選手会同盟による主催興行。いやこの頃はもう平成維震軍に軍団名を改めていたか。多団体時代にあって、新日本の底力を満天下に示そうという意味合いもあったのかも知れない。
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