◎陽気なギャングが地球を回す

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◎陽気なギャングが地球を回す
伊坂幸太郎
祥伝社NON NOVEL


 奥付を見ると初版が平成十五年二月となっていて、そういえばその頃の書店には黄色の表紙が平積みされていたことを思い出す。伊坂幸太郎は発刊すればそこそこのセールスが見込める作家だということか。私よりもちょうど十歳若いので、彼は中学、高校を八十年代のポップカルチャ全盛の時代に過ごしたことになる。
 “痛快クライムノベル”ということで、ストーリー展開も登場人物もあっけんらかんとしており、ポップであったり、スタイリッシュであったり、犯罪を描いてもあくまでもゲーム感覚として物語は進行していく。

 【警報装置を使わせず、金を出させて逃げるというシンプルな手口で成功率百%を誇る四人組の銀行強盗だったが、逃走中に他の車と接触事故を起こしてしまう。しかも、その車には、同じ日に現金輸送車を襲撃した別の強盗団が乗っていた。】

 銀行ギャング四人組のリーダー格が、相手の嘘をたちどころに見破る「人間嘘発見器」の成瀬。とにかく薀蓄を吐き散らかす響野。スリの名人である久遠。それに正確無比の体内時計をもっている雪子。確かにそれなりの過去は引きずっているものの、特異なキャラクターを与えられた主人公たちは、なぜ犯罪者に身をやつしたのかという人生の挫折も、説明もないまま、いきなり物語の登場人物として読者の目前に投げ出されている。いや彼らにとって犯罪者に身をやつしているという実感すらないのかもしれない。
 私にとって、こういう小説はページを開いた瞬間からいきなり「好きか?嫌いか?」の二者択一を迫られる類のものだ。犯罪に走る主人公たちが例外なく栄光の夢に敗れた傷を引きずっている必要はまったくないが、そういう存在証明を登場人物に見出しながら思い入れを深めていくというのが好みなので、どこかで割り切りが要る。
 その意味では、この伊坂幸太郎の小説は割り切りながら読むことが出来たような気がする。手にとった瞬間は本書の装丁から浮ついたサブカルの匂いを感じて警戒したのだが、心情的に彼らに倫理的葛藤の有無を問うこともなく、一気に完読してしまった。おそらく私は伊坂幸太郎の語り口の巧さにに乗せられたのではなく、巧く乗ったという読書だったのではないか。
 作者の意図として「語り口で軽く読ませる」ということがあったのだとすれば、主人公たちの個性豊かで(あくまでも表層として)、それなりにヤマ場を設けたストーリーの構成、どんでん返しに至るまでの伏線の張り方の効果など、痛快クライムノベルとしては十分に成功したのではないかと思う。
 本来なら雄弁家の饗野のキャラクターに、それなりの時代性(社会性)を盛り込むことも可能だったのでないかと思うのだが、雄弁に薀蓄を傾ければ傾けるほど饒舌ぶりがボケとなって笑いを誘い、読み手を和ませてしまうあたりに本書が受け入れられる「時代」というものがあるのだろう。なるほど私が本書を手にしてよかったと思えたのは、ひとえにこの饗野という男の存在であり、彼がいなければ随分と違う読後感になっていたに違いない。彼の演説をまた聞くことが出来るのなら続編を読むのも厭わないという気分になっているから恐ろしいのだが。


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