◎迅雷

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◎迅 雷
黒川博行
文春文庫


 毎度、同じことを書いているようだが、今回の黒川博行も傑作だった。いや前回の『青煌』を最高傑作なのではないかと書いたばかりで、いささか節操のないことではあるが、『迅雷』の傑作は腹を抱えながら「いや〜ケッサク、ケッサク」という爽快な気分としての「傑作」だと思ってもらえればよい。

【「極道は身代金とるには最高の獲物やで」。大胆不敵な発想で暴力団の組長を誘拐した三人組。警察署の目の前での人質交換、地下駐車場でのカーチェイス、組事務所への奇襲攻彼らと、面子をかけて人質を取り返そうとするヤクザたちとの駆け引きが始まった。】

 「関西を舞台にした犯罪小説の書き手」と黒川博行を矮小にカテゴライズした紹介文は嫌というほど目にするのだが、相当オーバーラップされているのを承知で黒川作品を強引に分類してしまうと、本格推理もの、猟奇もの、業界もの、誘拐もの、ハードボイルドアドベンチャーものということになる。この中で「誘拐もの」というのがジャンルとして具体的過ぎるという気がしないでもないが、誘拐事件という題材にかなりのこだわりを見せていることは、デビュー作の『二度のお別れ』『切断』『大博打』のテンションを読み取れれば納得がいくと思う。
 しかし黒川の誘拐ものはキッドナップというよりも誘拐という行為から引き出される極限の会話の面白さが際立っており、犯人と被害者、身代金と人質との受け渡しの交渉術が肝となるわけで、書き味が最上級に生かせるのが誘拐ものであることを黒川自身が自覚しているのではないか。
 そうなるとこの作品の面白さを表現するとなると大阪弁の会話のテンポを羅列すれば事足りるという気がしないでもない。なにせ誘拐犯三人組が手をかけたのはヤクザの組長。極道が警察に通報するわけがないし、面子があるから他の組に応援を頼むこともしないので、間違いなく身代金を取れるという算段なのだが、おかげで誘拐犯と被害者のやりとりとは思えない会話が炸裂する。
 「煙草や。火をつけんかい」
 「注文が多いな、え」
 「こ、このガキ!」
 「図に乗るんやないぞ、ぼけ」
 「おどれ、殺したる」
 「おまえ、ほんまにワンパターンやな。ふた言めには、殺したる、やないか」
 「じゃかましいわい、くそ」

 しかし三人組のひとりが暴力団の手に落ちてからは、身代金の強奪から人質同士の交換に話は展開していく。通常の誘拐事件ならば捜査の網からいかに逃れるのかというのが焦点になのだが、相手が極道となると下手を打つと命の補償はない。そのギリギリの大博打と裏の掻き合いによって攻守が二転三転し、局面が刻一刻と変るたびに読者はすっかり黒川のペースに乗せられ、先読み不可能な面白さにカタルシスを得る。

 『封印』で一気にハードボイルドの領域に踏み込んだときには日活アクションの趣を感じさせたが、『迅雷』の味わいは70年代の深作欣二『資金源強奪』や中島貞夫『狂った野獣』といった東映B級アクションのケッサクのノリに近いものを感じる。
 実際、本作は仲村トオル主演で東映Vシネマとして『迅雷・組長の身代金』のタイトルで映像化されており、当時、レンタルビデオ店をやっていたときに棚に並べた記憶がある。調べてみると友永に仲村トオル、稲垣に石橋凌。誘拐される組長に下元史郎、幹部に大杉漣という顔ぶれになっており、さらに監督が高橋伴明、脚本が西岡琢也のコンビということで、ベースとなる物語の面白さに間違いはないので、そこそこに面白い作品に仕上がっていたのではないかと想像するのだがどうなのだろう。

 前回読んだ『蒼煌』が芸術院会員選挙をめぐって、老人たちが買収工作を行脚する話だったことを思えば、全編にアクションが展開する『迅雷』はまるで違う作家による小説のようでもあるが、どちらも黒川博行そのものの味わいとしかいいようがないところが楽しいではないか。


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