◎蚊

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◎蚊
椎名 誠
新潮文庫


 古本屋にて「どれでも3冊250円」と書かれたワゴンから手に取った。もしこの光景を椎名誠が見たら、さぞ荒んだ気分になるのかもしれない。もしかすると「図書館で借りてきた」の方がまだマシだと思うのだろうか。
 しかし、「どれでも3冊250円」は破格でも、奥付を見ると十年前の発刊で、おそらくBook-offでは売れないほど傷んでいたのだから、チリ紙交換やら資源ごみ回収の一歩手前で幸か不幸か生き長らえたのは、本の末路として、或いはかつての『本の雑誌』編集長として、そう嘆かわしいことではないのではないかとも思っている。

 【サラリーマンの一人住いのおれの部屋。その狭い部屋の6畳の空間を黒黒と埋めて飛び回る蚊の大群。悪夢と妄想の世界に真情を仮託したスーパー・フィクション「蚊」。そして、爽やかな男のロマンを描く“おもしろかなしずむ”の極致「海をみにいく」など多彩な椎名誠の小説世界、全9編。】

 そういえば80年代には椎名誠のちょっとしたブームがあった。確かビールのコマーシャルで見せた人懐っこい笑顔と、袖なしGジャンが似合いそうな男臭さ、作家というイメージを覆すような完全アウトドアな佇まいで、とくに本など読まないだろう一般女子からも憧れの的となっていたように記憶している。
 そういえばあの頃はバンダナ巻がカッコいいとされていたなぁ、などと思いながら、この本の巻末に村松友視の解説などを見つけると、椎名や村松の文章に久々に80年代プロレスの懐かしい香り(のようなもの)が漂ってきて、妙な感慨に浸ってしまった。
 もっとも村松友視はともかく、椎名誠は『哀愁の街に霧が降るのだ』しか読んでいないのだが、あの小説だか自伝エッセイだかよくわからない上下巻の“大作”は凄ぶるつきの面白さに満ちていて、20代後半の私は精神的にあの世界観に揺さぶられていたことを思い出す。
 弁護士の木村晋介とイラストレーターの沢野ひとしとのいかにも男くさい共同生活を、そのダラダラとした日常描写があたかも桃源郷の如き居心地を醸していたように感じていたのだ。まったく今思えば不思議なことではあるのだけど。

 さて、この『蚊』と表題された短編集は、9編からなる。かつて「昭和軽薄体」と呼ばれた椎名誠の書き味は、確かに今読むと古色蒼然とした80年代サブカルを彷彿とさせる。
 例えばあとがきに『~ぼくはこの自分でも思いもよらなかった逆転現象に「ややや・・・・・・」とひそかに個人的恐怖のようなものを感じているのでもある。』の件での「ややや・・・・・・」と結びの「のでもある」のリズムがいかにも “自然児”という椎名誠の典型であり、やはり独特の世界観を読み取ることが出来るような気がするのだ。
 だからその9編の中では妙に作りすぎた作品はあまり面白くなく、ただ原稿用紙を埋めてみました的な軽い作品に椎名誠の真骨頂が見て取れる。
 作り過ぎた作品は筒井康隆的なナンセンスギャグの線を狙っているのだろうが、当然のことながら筒井康隆には遠く及ぶものではない。表題作の『蚊』にしても、オープニングの『真実の焼うどん』にしても作為が見え見えなものはあまり面白くなかった。
 むしろ飛行機の座席に置いてある雑誌に添えられているような小編『さすらいのデビルクック』や、少年時代のアイロニーが漂う『海をみにいく』。おそらく自身が過去に遭遇した思い出を語る『山田の犬』、仲間内での冗談話をネタに小説にしてしまったような『日本読書公社』などは椎名誠の独特のボキャブラリーが生きた小説だったと思う。
 
 それにしても『哀愁の街に霧が降るのだ』の世界観に桃源郷の居心地の良さまで見出していた私が、何故にあの一冊でピタッと椎名誠を読まなくなってしまったのだろうか。時代なのか、私自身の変質なのか。その両方なのか。おそらく実家に帰って、埃に塗れている『哀愁の街に霧が降るのだ』を再び手に取って読み始めたら絶対に面白いことは目に見えている。しかしそれが面白ければ面白いほど、その後にダメージが襲ってくることも明白のような気もする。
 何故ならあの世界観は桃源郷ではあっても、もう目指すべく理想郷ではないことがわかってしまっているからなのだ。・・・・何とも自分で書いていてほろ苦い気分に「ややや・・・・・・」となってしまうのだが。


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