◎苦役列車

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◎苦役列車
西村賢太
「文藝春秋」三月特別号


 読む前までは『苦役列車』というタイトルから、学校で習ったプロレタリア文学をイメージしていた。
 主人公には少年時代に父親が起こした性犯罪で、町を追われるように逃げてきたという過去があり、そこに些か同情の余地があるのかもしれないし、ある種、社会の不条理を見出すことができるのかもしれない。しかし、この小説は権力による労働搾取でも反資本主義的とも無縁で、少なくとも『苦役列車』は『蟹工船』ではなかった。

 【友もなく、女もなく、一杯のコップ酒を心の慰めに、その日暮らしの港湾労働で生計を立てている十九歳の貫多。或る日彼の生活に変化が訪れたが・・・。こんな生活とも云えぬような生活は、一体いつまで続くのであろうか・・・。】

 百年はクソ臭いだろう共同便所で、朝勃ちに苦労しながら小便をした貫多が、今日は日雇いの仕事に行くべきかどうか迷いながら、煙草の煙りを吐いている場面から小説は始まる。
 『きことわ』の女性二人のふわっと浮遊するような心象風景を読んだばかりだったので、いきなり野郎の汗の沁みついた体臭がムっと立ちのぼるような描写には少々面食らってしまう。両作品のコントラストの違いは作風だけではない。文藝春秋に掲載されたプロフィールによると、容姿端麗で慶応大学の現役大学院生という朝吹真理子は、父も、祖父も叔母もフランス文学者という家系で育ったとあり、一方の西村賢多はでっぷりとした体躯に口ひげを生やした風貌で、「中卒・逮捕歴あり」とある。
 いやはや同じ新人の同時受賞としても、二編の作家も作風がここまで対極にあると、芥川賞の選考はここを狙ったのではないかと勘繰ってしまうほどで、さらに朝吹真理子との比較でいえば、『苦役列車』の作中に慶応に通う女子大生が出てきて、主人公の貫多に「やっぱりあれか。もっぱら、オナニーかい?オナニー、なのかい?どうなんだ」と悪態をつかれる場面があり、これも妙に象徴的で笑ってしまった。

 さて、『苦役列車』は日雇いとして港湾の荷役で日々をやり過ごす青年・貫多の物語だ。物語といってもそこに劇的なドラマがあるわけでもなく、一日の労働対価で酒を飲み、女を買う。金に困れば平気で家賃を滞納し、仕事仲間に生活費を無心し、断られれば悪態をつくという生活の繰り返し。人生に希望が持てず、社会の軌道から外れた19歳の怠惰な日常がひたすら描かれていく。
 性格がひねくれているわりにはプライドが高いという貫多だけに、もしかすると本人は社会が悪いなどと思い込んでいるのかも知れないが、本質的には思想を育むまでの学問もなく、社会から自立しているわけでもないので、小説は単に貫多の出鱈目な性格と生活を延々と綴っているに過ぎない。

 文藝春秋には『苦役列車』は私小説として紹介され、西村賢太自身が私小説作家であることを標榜している。芥川賞ものでは青山七恵の『ひとり日和』が私小説とされ、私も大して気にすることはなく私小説という前提でレヴューを綴っていた。
 しかし技術的に私小説であるという一線はどこにあるのだろう。
 作家が自伝や日記に体験を綴るのではなく、小説の文法に乗せて物語を描いていく以上、そこには創作や脚色を介在させなければならず、そこで自身の半生を小説の主人公に追体験させることで、自らを客観視した表現が可能となるのは理解できる。しかし、そういうレベルのものなら『限りなき透明に近いブルー』から『岸和田少年愚連隊』まで、巷の本屋には私小説が溢れかえってしまう気がするのだが、どうなのだろう。
 私小説を辞書から引用すると「モノローグ的なストーリーのなかで、主人公=作者の、精神的成長、人格の深まりがテーマとなり、しばしば、作家の精神修行のその時点での成果の報告という性格さえ持った。」とある。しかしこれはかなり好意的な解釈で、実際、私が十代から二十歳代にかけて膨大な数の映画を観て、膨大な批評も目にしてきたが、「私小説的」というのはしばしば酷評の比喩として用いられていたように思う。簡単にいってしまえば「私小説=駄目なもの」だった。

 私小説も「中卒・逮捕歴あり」の作家が書けば、それだけで面白いものにはなる。だが、そうなると私小説作家を名乗る以上は、常人が体験し得ない経歴を持つ者、あるいは世間の常識とはかけ離れた考えを持つ者に限るという乱暴な話になるのだろうか。
 『苦役列車』では日払い労働のシステムも、日払いであるがゆえに怠惰な生活になっていく過程もよく理解が出来る。しかし貫多の行動の動機や心情を単に説明しているだけだという記述も散見できる。西村賢太がさらに私小説作家として成熟を目指すならば、心情描写を説明文としではなく、物語の中で融和させていくことが必要なのではないか。
 私小説として自らを裸にしていく作業に限界はないのだろうか。すべてを脱ぎ去った挙句に内臓までひり出すようなこともやっていくしかないような気がする。それでも怨恨、貧困、憤怒の思いが私小説を書かせたのであるならば、こうして芥川賞という栄冠を勝ち獲ってしまったことでこの先はどうなっていくのだろうというのも気になった。

 

 

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