◎背いて故郷

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◎背いて故郷
志水辰夫
新潮文庫


 【第六協洋丸、仮想敵国の領海に接近するためのスパイ船。柏木はその仕事を好まず、親友・成瀬に船長の座を譲った。だが成瀬は当直中に殺されてしまう。柏木は北の大地を餓狼の如き切実さで駆けめぐった。ただ真相に迫りたかったのだ。】

 文体が“シミズ節”と呼ばれ熱狂的なファンがいるという志水辰夫のハードボイルド小説を初めて読んだ。
 この戦前の流行歌のようなタイトルの作品は今から二十二年前に刊行されたもので、日本推理作家協会賞を受賞している。初読の作家と対峙する際には最初が肝心であるので何らかのお墨付きを得た作品から入るのが消極的安全策というものだろう。
 作品は一等航海士、柏木斉の一人称で語られていく。読み始めの数頁でいわゆるシミズ節のリズムは解った。一人称といっても清水俊一の名訳によるレイモンド・チャンドラーや原遼?のような粋な比喩を駆使して「極め」の言葉を連続させる典型的なハードボイルドの文体とは違う。

 “わたしを許すな。絶対に許すな。罪を今生償わせてなお許すな。無限の苦しみを課さんがため、永劫わたしを生かしめよ。生きて地獄、はててなお地獄。貶め、裁き、死してさらにその死骸を苔打て。〜漂って鐘の音。凍てついて冬の道。冷たい、どこまでも冷たい雪の肌。夜の残影。”

 体言止めによる叫びに近いような男の心情を現代散文詩的に綴られているという印象だが、やはり流行歌のナレーションといった方が的を射ている気がする。『背いて故郷』というタイトルそのものがすでにシミズ節だということなのだろう。
 確かに全編に散りばめられたシミズ節には読む者を妙に威圧する力を感じた。物語の合間に“八時。風は止んだ。風が止むと夜が匂いはじめた。”なんて表現が突如飛び出してくるとウィスキーのポスターにそのまま使えそうなコピーではなかろうか、などと思った。
 しかし文体の節回しに酔わされて心地よく読書を終えたのかといえば、残念ながらそうではなかった。もっとはっきりいってしまうと、進行する物語と文体との乖離に最後まで居心地の悪さを感じてしまい、一人称で語られながらも主人公の行動にも心情にも共感出来ない時間が延々と続いては苦痛ですらあった。
 おしなべてハードボイルドの主人公たちは確固たる信念に基づいて行動する。それが馬鹿げたこだわりやナルシズムに思えても、そこに孤高のダンディズムを見出して読み手はカタルシスを得る。
 本書での柏木斉も例外ではないのだろうが、それにしては行動の稚拙さに少々呆れてしまった。文体に合わせて主人公の行動もスタイリッシュである必要はないが、東京、横浜、千葉、横須賀、北海道、東北と、柏木の単独行が目まぐるしく舞台を変えながらも常に独りよがりであるために周囲に不幸を撒き散らしていくのでは、さすがに苛立ちを覚えてしまう。
 一人称で語られる主人公の行動に疑問符がついてしまうということは、そのまま物語に乗ることが出来ないこととイコールで、今宵が今生の別れともいわんばかりに情感溢れる描写があったと思うと数ページ後にはすぐに再会を果たし、二度と訪れることはないはずの街にあっさりと舞い戻るという繰り返しにも奇異な印象が残った。

 まあ主人公の贖罪が発端でありながら、罪ほろぼしがさらに新たな罪を生んでいく人生の皮肉といってしまえばそれまでなのだが、噂のシミズ節は物語の中に溶け込んでこそ冴えると思うのだが、独立した額縁に収まっている気がして残念でならない。


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