◎神去なあなあ日常

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◎神去なあなあ日常
三浦しをん
徳間文庫


 【美人の産地・神去村でチェーンソー片手に山仕事。先輩の鉄拳、ダニやヒルの襲来。しかも村には秘密があって…!?高校卒業と同時に平野勇気が放り込まれたのは三重県の山奥にある神去村。林業に従事し、自然を相手に生きてきた人々に出会う。】

 「見てから読むか?読んでから見るか?」だったか。70年代後半から80年代にかけて日本映画界を席巻した角川映画のキャッチコピーだ。私は基本的に「見たら読まない」が、その替わり角川春樹の戦略にまんまとはまって見る前に横溝正史、森村誠一、赤川次郎はじめ多くの原作を読んだ。
 今回は角川映画ではないが、お気に入りの映画監督、矢口史靖が『WOOD JOB!』の題名で映画化すると知り、取り急ぎ原作文庫本を購入。「見たら読まない」派としては作家が三浦しをんだけに映画を観る前に何とか読んでおきたかった。こういう読書も随分久々な気もする。
 もちろん三浦しをん原作、石井裕也監督の『舟を編む』の印象が鮮烈だったこともあるが、あの矢口史靖が珍しく原作ものを題材として選んだのだから、なかなかの原作に違いないだろうとの予感もあった。
 『まほろ駅前多田便利軒』はそれほどとは思わなかったが、『舟を編む』で辞書編纂に従事する人々を生き生きと描き、その職業ならではの知られざるエピソードの数々で大変楽しませてもらったことから、彼女は仕事エンターティメントの旗手であると確信できるわけで、同じように毎回、特異な題材で楽しませてくれている矢口史靖のコラボはこうして原作を読了した今、非常に楽しみではある。

 なるほど映画化の素材としてはほぼ満点の原作だった。こういう書き方は文学に対して失礼かもしれないが、もちろん悪い意味で書いているわけではない。『神去なあなあ日常』は読者にすぐにビジュアルを喚起させるような映像的な小説に仕上がっていたからだ。そもそも辞書の編纂と違って、林業という仕事が映像的ではある。木を切り倒す具体的な技術は文章よりも映画の方がわかりやすいだろう。
 高校卒の都会っ子がいきなり体験させられる山林の急斜面でのテクニカルな職人芸と、大木が切り倒されるダイナミズム。世間から浮世離れした常識はずれで摩訶不思議な習慣に途惑いながら、もちろん甘酸っぱい恋も経験しながら一人前の職人へと育っていく。その少年の成長を見守るような四季折々の豊かな自然。。。まさに映画にはもってこいの小説ではないか。
 と、書いているうちに我ながら矢口史靖の映画へのハードルがどんどん高くなっていくのを実感しているので、もう映画化のことはこの辺でいいだろう。

 実際はライトノベルの感覚に近い書き味ではある。特異な環境に放り込まれた少年・平野勇気が見聞きし、実体験した滞在記という形式なので文章も軽い。軽いが「俺」で綴られる一人称は現代っ子の語り言葉のリズムが弾けて読んでいて非常に心地がよい。
 自分は勝手にこういうジャンル物語をカルチャーショックストーリーと名付けているのだが、語り手がアウェイ感満載のズブの素人であることが読者にすんなりと疑似体験を楽しませることにつながるのだろう。自分がその場にいるような臨場感は上手く表現出来ていたと思う。
 キャラクターの作り方もいい。身近で勇気を指導するヨキ。このヨキの傍若無人な怪物ぶりが「俺」には神去村への畏怖となり、やがてヨキの天才的な仕事ぶりが「俺」に山で生きることへの憧憬をもたらしていく。山林の地主である中村社長、巌さん、三郎じいさんたち山で生きる人たちの日常とチームワークが「俺」の語りで生き生きと描かれていくのも楽しいし、男社会にあって、みき、祐子、直紀といった女たちのしぶとさもとても愛おしい。

 もちろん畏怖を抱いているのは「俺」ばかりではない。神去村の人々は山の恩恵に生きながら、だからこそ山に対する畏れは半端ではない。
 山には神が存在する。だからこの小説でも現代人が奇妙としか思えない祭祀がいくつか出てくる。幼い山太が神隠しに遭う場面などは民話の一場面のようなファンタジーだが、奇妙な風習の数々に初めて出会う「俺」の途惑いが読者に笑いをもたらせながら、クライマックスの命懸けの祭りの大爆笑へと雪崩れ込んでいく。
 巌さん曰く「俺は神隠しに遭うた男や。神去の神さんに気に入られた身や。そんな俺を祭りで死なせるわけがないねぃな」と、あくまでも山男は運命に対して「なあなあ」だった。

 全体的には「俺」のとんでもないカルチャーショックでユーモア小説という体裁になっているが、同じ物語を書き手がシリアスに描けば、恐ろしいまでの土着文学となるだろう。百年後の未来のために木を伐採し、また苗を植えていくという繰り返しの中で、
山のプロレタリアートたちの時間は流れていくのだ。
 日本全土の過疎化の影響はこういう山間の厳しい労働を直撃する。文中にあるように、なにせ生まれる人数より死ぬ人数の方がずっと多いのだから、「なあなあ」かつ「なっともしゃあない」で物事にあたっていく覚悟と強さが日常的に必要となっていく。
 現実、ニュースなどでは国際交渉の場で農業と漁業はよく取り上げられるが、林業が話題なることは滅多にない。それだけ林業の窮状など今更ニュースにならないのが実際なのだろう。
 日本の山林率は67%にものぼるという。にもかかわらず人の手が入らずに荒れた山は予期せぬ災害をもたらすのはわかっていても、国が林業継続のために真剣に政策を執っているのかといえば、せいぜい平野勇気が引っ掛かった程度のことでしかない。
 三浦しをんはさりげなくこういう現実を織り込むのも忘れてはいない。

 設定として神去村は三重県と奈良県の県境だということ。読みながら20代のときに滝めぐりであの辺りを車で走ったときのことも思い出していた。確かに山深い土地で、他所者がおいそれと踏み入れるに憚れる雰囲気は納得できた。


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