◎海の底

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◎海の底
有川 浩
角川文庫


 【横須賀に巨大甲殻類来襲。食われる市民を救助するため機動隊が横須賀を駆ける。孤立した潜水艦「きりしお」に逃げ込んだ少年少女の運命は!?海の底から来た「奴ら」から、横須賀を守れるのか・・・。】

 陸上自衛隊 『塩の街』、航空自衛隊 『空の中』と来て、有川浩の“自衛隊三部作”の最後は海上自衛隊 『海の底』。
 私は有川浩がここまでミリタリー好きだったとは思わなかったが、今思えば『阪急電車』にも軍事オタクの関学生の青年が登場していた。
 そして『海の底』ではクライマックスがいきなり訪れる。文庫版にして15ページから早くも怪物の襲来だ。同じUMA(未確認生物)を描いたものとしても『空の中』の不可解な飛行機事故といったような伏線がなく、今度の有川浩、なかなか勝負が早い。
 さらに【白鯨】が巨大な白い楕円という描写で、人間との共生がどこまで可能なのか接点を模索する知的生命体だったのに対し、『海の底』の怪物はザリガニの形をした巨大甲殻類であり、本能のままに群れながら人間を襲い捕食するというシロモノ。一切のコミュニケート不可能な怪物に対して、人間はただただ逃げまどうばかり。イメージとしては楳図かずお『漂流教室』に出てくる怪虫の群れといったところか。
 ・・・それにしても、よりによってザリガニ型の巨大甲殻類というのは参った。何を隠そう私はエビの形を見るだけで嫌悪感を催すという甲殻類アレルギーで、その意味ではかなり生理的な辛抱を強いられる読書となってしまった。
 生理的な辛抱といえば、子供たちを潜水艦「きりしお」に押し込んだ艦長が甲殻類に腕だけを残して食い散らされてしまう凄惨さもさることながら、子供たちの紅一点である女子高生の森生望が生理中であることのこだわりもどうしたものか。
 確かに女性の乗船が想定されていない潜水艦の中で、脱脂綿で代用しなければならない不自由さを強調する効果はあるのだろうが、今まで『塩の街』 『空の中』と有川浩を読んできた流れの中でも、妙に生々しい印象が残る。

 小説はのちにレガリスと呼ばれることになる巨大甲殻類に襲われ、13人の子供たちと潜水艦「きりしお」の内部に閉じ込められた海上自衛隊幹部実習生の夏木と冬原のパートと、横須賀を襲うレガリスと対峙する神奈川県警警備部の明石と警察庁参事官の烏丸のパートがほぼ交互に描かれていく。

 口は悪いが正義感に溢れる熱血漢の夏木と、頭がキレて物腰は柔らかいものの冷徹な冬原は、ともに海自の問題児として上官を悩ませるものの、お互いにライバルであり親友であるという設定。(なるほど『塩の街』の秋庭、『空の中』の春名ときて、これで三部作のヒーローは春夏秋冬が整ったわけだ)。この二人が怪物相手に八面六臂の大活躍か、と思いきや夏木と冬原は13人の子供たちと潜水艦に籠城する。潜水艦はレガリスに包囲されて座礁して停泊している状態だ。
 そうなると話は自然と自衛官ふたりと子供たちとのドラマとなり、あるいは子供同士の諍いなどが中心となる。大人ふたりを加えて『十五少年漂流記』を意識したとのことだが、高3から小1までの13人の子供たちはやや人数を持て余していた感は否めない。結局キャラクター付けが出来ないまま終わってしまった子供もいて、これはどう読んでも半分ほどの人数でよかった。
 その中でピックアップされるのが高3の森生望と中3の遠藤圭介。この圭介がなかなかのヒールぶりを発揮して狭い潜水艦内にストレスを充満させていくのだが、正直いって閉鎖空間の中で子供たちの陰湿ないじめや確執を読むのは少々しんどかった。
 圭介は明らかに望に横恋慕していて、それが自己矛盾となって望を攻撃する。望は明らかに夏木に惹かれ、夏木もそれを意識する。相変わらずキメ細かい心理描写で読ませるし、この関係がラストのどんでん返し(?)へと繋がっていくのだが、化け物に包囲された閉鎖空間で安易にそういう心情になるものかどうか、私には無理があったとしか思えないのだが、もともとこの小説の読者のターゲット層は中高生の女の子たちであって、決して中高年のおっさんではないのだろうから、私の理解などは知ったことではないのかもしれない。

 むしろこの小説の見どころは横須賀の街に上がったレガリスに闘いを挑む県警警備部の明石と警視庁参事官の烏丸、あるいは機動隊隊長の滝野たちの活躍にあったと思う。これまでは胸キュンの恋愛ストーリーを楽しく読んできたが、今度ばかりは惹かれるのは闘う男たちの姿だ。
 まず明石は横須賀市街に最初の防衛線を張り、レガリスを封じ込める作戦に出る。これが『ゴジラ』由来の電流による包囲だというのは笑わせる。曰く「先人の知恵」なのだそうだ。もっとも巨大甲殻類の研究者が芹澤というのは少々やりすぎのような気もしたが。
 舞台が米軍基地を擁する横須賀であるがゆえ、米軍が基地保安の目的で横須賀の市街を空爆する動きを見せ始める。ここで明石が軍事オタクたちの集うBCCに参加し、全国の米軍基地の動きを見張らせるという手段に出て、物語と並行して彼らのチャット画面がページに現れる趣向も面白い。
 しかし、もともと機動隊では巨大甲殻類を食い止めることなど不可能。そもそも警察能力に巨大生物の脅威と闘うなどという想定はない。SATなどの狙撃舞台は出動しても劇的な効果はなく、せいぜいジュラルミンの盾で応戦し、角で打撃を加える程度だ。
 当初から明石と烏丸の戦略の最終目的は「自衛隊を担ぎ出すこと」の一点。対策本部を不入斗公園に設置し、電流による防衛線を張ってきたのもそのためだった。
 このふたりの警察官のミッションがユニークなところは「警察がいかに無残に敗走していくのかを知らしめる」ことにある。誰に知らしめるのかといえば、いつまでも自衛隊の市街での火力使用に踏み切れない政府と、防衛省との主導権争いに奔走する警察上層部にだ。
 実際、巨大生物が街を蹂躙している状態で、まして米軍の空爆が想定されるような事態になっても日本政府が自衛隊の出動を躊躇するものなのかどうかはわからない。しかし、そういう設定を作り上げた有川浩は冴えている。警察組織が国内の治安維持に自衛隊を介入させたがらないのは現実的な話なのだろう。
 傍から見ればユニークなミッションだが、現場の機動隊員にとってはそれこそ地獄だ。強烈な異臭を放つレガリスの体液を身にまといながら、ぼろきれのようになって転げ出てくる機動隊員を、満身創痍の隊員が迎え、飢えて追いすがってくるレガリスを寄ってたかって打ち、押し戻す。その様子を待機する自衛隊はただ見守るしかない。

 様々なパートで読者が感じるツボも様々だろうが、自衛隊の指揮官が機動隊の闘いを見て「見届けろ。あの苦闘の上に自衛隊が出勤することを胸に刻め」と部下を戒める台詞こそ『海の底』で最大の泣かせどころなのではないか。と個人的に思ったのだが、これはおそらく少数意見なのかもしれない。
 ただ巻末に収録された『前夜祭』。有川浩がこういうのを描くのが大好きなことはよくわかるが、正直言って無くてもよかった。
 

 


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