◎江田島殺人事件

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◎江田島殺人事件
内田康夫
講談社文庫


 江田島教育参考館にはいつか訪れようと思っていた。日々の忙しさに感けてその計画も風化してしまったのだが、『江田島殺人事件』を読んで再びその思いが蘇ってきた。

 先の大戦に存在意義を求める時、大方は日本が戦争へと向うに至った帝国主義を反省し、将来への教訓とするべしという論調に集約されている。その意味では憲法改正論議に必ず出てくる「軍靴の足音が聞こえる」「いつかきた道」というお題目もわからないでもないが、しかし私はある時期から、日本の戦後との関係性においてこそ、あの戦争は位置づけられるのではないかとの思いに囚われている。
 “先の戦争”という言葉に象徴されるように、終戦から高度成長を経て現代まで日本は国家個体としての戦争の総括を放置したまま繁栄に酔いしれている。その根源に「反省と贖罪」という硬直した議論が思考停止を招いてしまったとすれば、戦後の日本はあまりにも無為な時間を過ごしてしまったものだと言わざる得ない。
 そもそもそ大東亜戦争という呼称がGHQによって禁じられまま現在まで戦争の正式名称すら確定していない事態こそ異常だ。
 教育も然りで、国旗掲揚、国家斉唱の是非に使われた無駄な時間が迷走そのものなのではないか。そういえば小学校の教科書に記載されていた支那事変という呼称もいつの間にか消えてしまい、枝葉末節な問題提起の連続が総括と検証を蔑ろにさせた元凶ではないかと思っている。
 まあ、いくら“横ずれ上等”と居直ろうが、この場で論ずる内容ではないのでこれ以上のことは書かないでおくが、硫黄島で圧倒的物量の米軍を相手に最後まで抵抗した栗林忠道陸軍中将の名を、多くの日本人が知らないまま、クリント・イーストウッドに教えられて感動している事態こそ恥もいいところだ。

 【江田島の主峰・古鷹山が炎上し、短剣を腹部に突きたてた不審な焼死体が発見された。そして十年。帝国海軍の象徴・東郷元帥の盗まれた短剣の行方を追って浅見光彦が江田島へ。奇しくもその日、発見された短剣で男が「自殺」する。】

 話としてはよくまとまっていたのではないかと思う。東郷元帥の短剣をめぐる江田島海軍兵学校出身兵たちの戦後史としても読ませるし、資本経済が政治を巻き込んで、今もなお戦争に食い込む現代社会への批判も効いている。違和感なく昭和五十三年「なだしお事件」を巧みにストーリーに組み込む冴えもあった。
 もちろん文庫版で230ページのボリュームにやや事件解決を急ぎすぎた感は否めないし、結果的には浅見の影響下でベテラン刑事を殉職させてしまったという後味の悪さもあり、そのことが今後の浅見のパーソナリティに反映されていないもどかしさもある。しかし作家が自身の著作にイデオロギーを持ち込むのはまったく自由だと思っているので、内田康夫の熱意が伝わってくる作品として『江田島殺人事件』は特筆してもいいような気はした。


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