◎弁護側の証人

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◎弁護側の証人
小林喜美子
集英社文庫


 日常、趣味は気が向けば手を出せばいい--------。
 重々わかっているのだが、気が向かずとも「本読み」を続けるのには多少、無理して気持ちを向ける必要がある。
 いよいよ還暦カウントダウンとなると、これから先のことも考え趣味として「読書」は確保しておきたい。が、インターネットからのリアルタイムの情報には、どんなくだらない記事でもリアルタイムであることの麻薬性があり、帰宅電車や寝しなのラジオは聴きながら睡眠まで誘ってくれる。さらにそのどれもがスマートフォンの利便性の内で完結してしまうお手軽さがある。
 一方「本読み」は書籍を手に入れるところから始めなければならない。手に取ったら取ったで本は嵩張って狭い部屋の少なくない面積を占領してしまう。売るにしても意外と面倒なのだ。
 そういえば書店で本を選ぶのが楽しかった頃もあったな、、、と、思い出すほど過去のことになりつつあり「とりあえず本屋にでも行くか」というのはすっかりなくなった。
 この[読書道]にもそのうち、電子書籍の波がやってくるのかもしれないが、それでも「本読み」が継続となれば御の字なのだろう。
 さらに追い打ちをかけるのが老眼。いくら何万円もかけて遠近両用の眼鏡を作ったとしても簡単に煩わしさから解放されるものではない。
 「若者たちの活字離れ」が喧伝されて久しいが、還暦カウントダウンのおっさんにだって「活字離れ」は蔓延しているのだ。
 などとに小林喜美子『弁護側の証人』を読み終えて、とっとと感想を書き始めるべきなのだが、久々にアップする段になって余計なことが脳裏に渦巻くのを止めようがない。
 いや「脳裏に渦巻く」もなにも何度も書いてきた愚痴ではあるのだけれど。

【ヌードダンサーのミミイ・ローイこと漣子は八島財閥の御曹司・杉彦と恋に落ち、玉の輿に乗った。しかし幸福な新婚生活は長くは続かなかった。義父である当主・龍之助が何者かに殺害されたのだ。真犯人は誰なのか?弁護側が召喚した証人をめぐって、生死を賭けた法廷での闘いが始まる。】

 “あっと驚くどんでん返し” “最後の数ページ、物語は180度ひっくり返る”、、、、書店のPOPや文庫の帯に誘われての購入だった。売る側も必死なのだ。
 私もビデオレンタル屋時代にせっせとPOPを作って作品をにアピールしようと必死だった。そんな中でPCに馴染むようになったのだが(それを書き始めるとまた話がとめどもなく逸れていく・・・)、映画もそうだが売る側が客に訴求しようとする際、「あっと驚くどんでん返し」が最大の殺し文句ではあることは実感している。
 「あなたはきっと騙される!」。購買客は気持ちよく騙されたいのだ。逆をいえばそういわれないと最後のページまで辿り着くかどうなのか不安なのだとも思う。曰く「それなら完読できそうだ」との安心感を与えなければならない。
 私の読書がミステリ中心なのはそれを求めているからかも知れない。そう私は未だ読書ビギナーなのか。
 それにしてもこの『弁護側の証人』は文庫の帯でもそれが突出している。いやそこのみで一点突破を狙っているとか思えない。

 “これはミステリーという名の騙し絵である(宇江佐真理)”、“『弁護側の証人』を読む、それはすなわち、極上の魔法を体験するということである(綾辻行人)”、“驚きのどんでん返し!絶対に騙されるぞ(貫井徳郎)”、“ダメ男の王子様と戦うシンデレラ。起死回生の逆転愛が待ち受ける必読の名作(法月倫太郎)”、“今だから広く読まれて欲しい一冊(我孫子武丸)”
 
 作品とは無関係の横道と、引用を多発してまで行を埋めたものの(私には行さえ埋められれば良しとする悪癖がある)、実際、読後は「ははあ、そうだったのか、なるほどなるほど」とは思った。
 しかしこの本の感想をどう書けばいいのか悩むのはいわゆる「ネタバレ問題」。
 私がいう「ネタバレ問題」とは、ネタバレをやってしまう直接の問題ではなく、やたらとネタバレを避けようとする、あるいは避けるようにと異常に求める風潮のことも含んでいる。
 映画評などで「これ以上はネタバレとなるので書かないが~」という記述をよく見かける。しかしそれが作品の核心であり本質であるならば、果たしてそこを素通りして批評が成立するのかという問題もある。
 ある映画評論家が史実をテーマとした映画に対し「その先をいわないで」といわれて「その先は歴史の教科書に載っているわ」と嘆いていたが、数多の情報が蔓延する社会において、かえって常識へのリテラシーが欠如しつつあることも「ネタバレ問題」のひとつなのかもしれない。
 その点、昔は大らかにネタバレが横行していたものだ。
 ただ私の経験上、ネタバレされて良かった経験は一度もなく、浜村淳の映画評もそうだが、とくに中学時代に読んだ藤原宰太郎のミステリ紹介本に「意外な犯人」が列挙され、それでミステリ好きなら当然読んでいる筈の『Yの悲劇』『オリエント急行殺人事件』『アクロイド殺し』『そして誰もいなくなった』『Zの悲劇』『黄色い部屋の謎』『モルグ街の殺人』などの古典を未だに読む気になれない恨みは骨髄に沁みている。
 だから私もミステリに関してはこのページも【三行の映画評】でもなるべくネタバレは避けようと努めているし、こんな辺境のページでネタバレもへったくれもないと思いつつ、それゆえ「ここから先は読まないで」などと断ってまで書き進める意味のなさも感じてしまうのだ。

 実はこの『弁護側の証人」に関しては意外なトリックは出てこないし、タイトルにあるとはいえ、驚くべき証人が現れるわけでもない。小説そのものに罠が仕掛けられており、逢坂剛『燃える地の果てに』、歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』系の叙述トリックだった。
 確かに206ページを境にガラリと物語の根本が変わる面白さはあって、序章を読み返して「やられた」とはなったのだが、そうなると逆にそれまでの読書中、健気なヒロインに思い入れていた時間は何だったのだ?との思いも湧いている。
 仕掛けもあざとくミスリードを狙ったわけでもなく、読者の先入観を巧みに利用したものであったにしても、物語で起こる事件も携わる関係者の造形の薄さも気になるところではあった。

 しかしそれ以上に驚いたのは、本書が上梓されたのが1963年で、作者の小林喜美子がすでに故人であったこと。
 “最後の数ページ、物語は180度ひっくり返る” の一文で購入を決め、さっさとページをめくり始めたものだから、この小説の背景をまったく知らないまま読んでる内に「随分と文体が古めかしいな」と思って奥付を見直ししてびっくりだった。
 いや “過去に入手困難になりお問い合わせ殺到だった究極の一冊”とあったので、一時代前のミステリだとは思っていたが、まさかここまでとは。
 そうか還暦カウントダウンのおっさんが2歳の時の小説だったのか。



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