◎夜は短し歩けよ乙女

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◎夜は短し歩けよ乙女
森見登美彦
角川文庫


 おそらく今年読んだ小説の中で一番面白かった。少なくとも読書の時間がいかに楽しいものだということを教えてくれた。“傑作”といってしまうと少々面映ゆいので片仮名で“ケッサク”としておこうか。

 【黒髪の乙女にひそかに想いを寄せる先輩は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めた。けれど先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する“偶然の出逢い”にも「奇遇ですねえ!」と言うばかり。そんな2人を待ち受けるのは、個性溢れる曲者たちと珍事件の数々だった。】

 舞台は京都。しかしここは架空のハッピーワールドだ。街も通りも建物も京都そのもので、ちゃんと先斗町も、木屋町も、下鴨神社も、出町柳駅前も忠実に存在しているが、我々が住む星とはおそらくパラレルの関係にある。
 ハッピーワールドの住人なので、京都弁は喋らない。ときには力強い標準語ではっきりと叫ぶ。
 “恥を知れ!しかるのち死ね!”などと。
 それでもこの小説で語られる語彙はめまいがするほどに豊かだ。その豊富な語彙を日常語とする彼らは全員がヘンな人たちばかりだが、基本的に悪い人はいない。しかし困ったことにハッピーワールドでも恋は地球のうつつと同じように切なく迷う。
 物語は、かつて“左京区と上京区をあわせても並ぶ者なき硬派”と謳われ、今や“彼女の後ろ姿の世界的権威”となった「先輩」の、春夏秋冬・四季折々、どこまでも暴走する「ロマンチック・エンジン」をこれでもかと切々に描いている。私は森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』を“男子小説”として読んだ。そう断じてこれは男の物語なのだ。
 確かに「黒髪の乙女」は俗にいう天然系の可愛さに満ち溢れたヒロインではあるが、とても女性読者から共感を得るがために造形されたキャラクターとは思いにくい。彼女のようにあまりにも無垢なものに対しては、畏れながらも挑んでいくことこそが男子たるサガなのだ。逆にいえば黒髪の乙女は遅すぎた思春期に遭遇した男たちが作り上げた幻想、あるいは理想郷なのではないか。
 しかし、本来ならば先輩が乙女を落とさんと恋道一直線に突き進むべき物語なのだが、彼にとって不幸だったのはここがハッピーワールドだったということ。只酒を狙って夜な夜な四条界隈を跋扈しては、相手の顔を舐めまわす羽貫さんや、天狗の術を身につけ「地に足をつけない」ことを信条とする樋口さん。『陰陽師』での菅原道真が率いる百鬼夜行ばりに、三階建て満艦色のチン電で現れる李白爺などが跳梁するため、敢然無欠たる主役であるべき先輩がときには路傍の石に追いやられてしまうのだ。

 とにかくイメージの洪水のような小説なので、頭の悪いこちらとしては四つの物語を一気に読むには脳ミソの容量がいささか心細く、オムニバスだと知った段階からひとつのエピソードを読んでは一旦本を閉じて、別の小説を挟むといった具合にこの小説を3ヶ月かけて読み進めていった。
 案外スパンをとって読んだことで、リアルな時間経過を体感できたのではあるまいか。私が二階堂黎人や有栖川有栖を読んでいた間にも、先輩は黙々と“ナカメ作戦”を実行し、銀閣寺や吉田神社での偶然の出会いを頻発させながら、「我が手にハッピーエンドを!」と絶叫していたのかもしれないし、パンツ総番長は一目惚れした女性との再会の日を祈願しつつも下半身の病魔と闘っていたのかもしれない。
 とにかくそんなことを想像することで、愛すべき小説の面白味は倍増していくような気がする。

 そもそもイメージの洪水となる要因には、四章それぞれにオマージュするべき対象が設定されていることも大きい。
 春の先斗町や木屋町を飲み歩く第一章「夜は短し歩けよ乙女」では宵闇の京都の怪しさに、蝉時雨が喧しい下鴨神社の古書市を描く第二章「深海魚たち」では本や文学に、秋の学園祭で巻き起こる大騒動を描く第三章「御都合主義者かく語りき」では青春時代に、冬至の候に風邪が蔓延する第四章「魔風邪恋風邪」では人間そのものにオマージュが捧げられているのではないだろうか。
 それらのテーマ別のオマージュにエピソードや登場キャラクターが偽電気ブランの如くブレンドされてイメージの芳醇な味わいを醸しだしている。そんな洪水の中をくぐり抜けて恋を成就させんとするのだから、この男子小説の恋道は並大抵の試練ではない。

 山本周五郎賞受賞や直木賞ノミネート、本屋大賞2位という“戦績”を残した『夜は短し歩けよ乙女』だが、もし、この【読書道】にも賞があるのならば、間違いなく年度遅れの大賞を進呈したい。願わくは恋する人と一緒に今出川通の「進々堂」にて授賞式を執り行えれば最高なのだが。


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