◎初陣 隠蔽捜査3.5

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◎初陣 隠蔽捜査3.5 
今野 敏
新潮社


 本書は2ヶ月前に新刊として出たばかり。図書館の予約を見たら途方もない順番待ちとなっていたので思い切って買ってしまった。前作を読んで次は文庫化待ちでもいいかなと思いつつも、ここまで今野敏を続けたのだから、こういう勢いは掴まえておいた方がいいように思った。

 【警視庁刑事部長・伊丹俊太郎と大森署署長・竜崎伸也。幼馴染にして立場の違う同期のキャリア。組織の壁に悩む伊丹の苦境を竜崎の信念が救う…。】

 小説雑誌に連載された読み切りをまとめた短編集で、これは映画などで流行っているスピン・オフ企画という奴だろうか。主人公は竜崎伸也ではなく伊丹俊太郎。このふたりは第一作で警察組織の対面をめぐり激しく対立した。あの警察官僚同士の極限ともいうべき確執を思うと、本書の内容はひどく牧歌的に思えるのだが、NO.3.5とは、第三作目から四作目までの閑話休題という趣があるのかもしれない。
 正直、ハードカバーの新刊で買うほどのものとも思えなかったが、しかし熱烈な『隠蔽捜査』のファンにしてみれば作者からの最高の贈り物を授けられた気分になるのかも知れない。その気分は少し理解できるような気がした。
 
 本書は『指揮』『初陣』『休暇』『懲戒』『病欠』『冤罪』『試練』『静観』の八篇から成る。この中の『試練』だけが異色で、これはシリーズ第三作『疑心』で竜崎を色ボケの奈落に突き落とした畠山美奈子が、米大統領来日の方面本部長に任命された竜崎の秘書官として派遣される直前のエピソードで、文脈のそこかしこで『疑心』とのリンクが見られる。いやはやまさか伊丹が竜崎の苦悩を事前に確信していたとは驚きだったが、考えてみればこれはまったくの与太話なので無視していいだろう。
 それ以外の他七編はすべてが窮地に立たされた伊丹が竜崎に助けを求め、竜崎が持ち前の原理原則の合理性を駆使して解決に導いていくという内容で、不正な裏金捻出や不祥事を起こした部下の処分といった緊迫した状況もあれば、旅行や病欠などというそれほどでもないものもある。
 小説雑誌への読み切りということで伊丹や竜崎の状況説明が何度も被る箇所があるのが気にならないでもないが、小粒ながらどの話も面白く、短編ならではのエスプリを効かせるあたり、やはり今野敏は脂が乗り切っているということなのだろう。

 それにしても竜崎の主観で進んでいく本編と比べ、伊丹の目線で捉える竜崎というのは殆ど傍若無人なまでに無敵の男として登場する。確かにあの徹底的に原理原則を貫くキャラクターは伊丹のような男からすれば化け物に思えるのだろう。逆に本編で竜崎から辛辣な評価をされていた伊丹がこの短編集では常に切羽詰った日常にいることを露呈してしまう。勝手な思い込みで駄洒落をいえば、竜崎は「信条の人」で、伊丹は「心情の人」だといえるのかも知れない。

 「私大出身のキャリア官僚というのは生き延びるだけでもたいへんなのだ。最初からレールを外れている。だから、伊丹はことさらに回りに気を使うのだ。そして、味方にできる者は誰であれ味方にしようとする」
 伊丹は優秀なエリート官僚だが、東大閥が席巻するキャリア組では決して主流にはなれない。庶民感覚からすれば随分と理不尽な話にも思えるが、常日頃から警察組織の硬質性を批判する竜崎であっても、このシステムを肯定している。だから伊丹は警察官僚の中で己の存在を確立するために切実な努力を自らに課すことになる。
 腹が立つことがあっても笑い飛ばして周囲を明るくするように努め、常にマスコミ受けを意識し、颯爽と捜査本部に現れて陣頭指揮を執ること。そういう伊丹の態度が竜崎にいわせればスタンドプレーに映るのだろうし、竜崎主観の本編ではもしかすると伊丹を快く思わない読者もいるのかもしれない。
 しかし『休暇』という一編は滑稽な味わいだが、伊丹がいかに日常をストレスに苛まれながら生きていることを端的に物語り、この人物の痛みが伝わってくる。
 それでも伊丹が打算だけで捜査本部の指揮を執っているのかといえばそうでもなく、例えば『指揮』においては、福島県警から警視庁に異動する狭間の時期に事件が勃発し、どうしても新任に事件を引き継いで県警を去る気になれずに苦悩する姿が描かれ、「俺は現場主義だからな」という発言も単なるポーズではないことがわかる。
 この短編集では竜崎の超然とした存在感が際立つ一方だが、その裏返しに伊丹のいかにも人間臭い生き様も見逃してはならない。

 実はシリーズ第二作『果断』に以下のような描写がある。

   伊丹が本庁の捜査員達に言った。
   「すぐにかかってくれ。一気に片を付けるぞ」
   その姿を見て竜崎は少しだけ嫉妬した。やはり伊丹は颯爽として見える。
   こういうことが様になる。

 伊丹にとって、竜崎は決してコンプレックスを抱くだけの相手ではない。この本が巻末に近づく頃、伊丹は竜崎への友情を思い、それをひとり語りのように告白して本書は終る。やや、情緒過多ではあるが読後感は決して悪くはなかった。

 こうして今野敏を7冊続けて読んだ。『隠蔽捜査4』の刊行は年明けになるのか。久々に新刊が待ち遠しいシリーズとなった。


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