◎乳と卵

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◎乳と卵
川上未映子
「文藝春秋」三月特別号


 まず本論とは関係ないが、ページをアップする作業をするために新刊本の画像を求め、Amazonのホームページで『乳と卵』を検索したところ、同時に『肉・乳・卵・油脂ガイドブック−栄養価・特徴・料理法がひと目でわかる』『動物資源利用学―乳・肉・卵の科学』というタイトルが一緒に検索されたので笑ってしまった。なんだかこんなことに笑ってしまいながら、このレヴュー自体も全部笑ってしまいたい気分になっている。
 こうしてブックレヴューめいたことを書くにあたり、この芥川賞作品を面白いとするか、そうでもないとするかは、実のところ自分の気分次第なのではないかと思っている。
 それは「面白いところもあるが、つまらないところも多かった」という意味ではなく、もっと根源に自分の生理的な問題として川上未映子『乳と卵』を受け入れるための器が、今、どんな具合なのかというところに確信が持てなかったという話に近い。
 その器とは当然のことながら五十路が近づいて手前でジタバタしている中年男としての自分の器に他ならないのだが、その器は広くて浅いのか、狭くて深いのかのどちらかであり、決して広くて深いわけではなく、結局その容量の中にこの小説を詰め込んであれやこれやとかき混ぜてみることに大した意味が持てなくて困っているという状態なのだ。

【娘の緑子を連れて豊胸手術のために大阪から上京してきた姉の巻子、そして初潮を迎えて心が揺れている娘の緑子。その母子を迎えるわたしの三日間に展開される身体と言葉の交錯】
 
 姉の巻子が豊胸手術にこだわることにどうしても理解するまで行かない「私」が、巻子と連れ立った銭湯の脱衣所で、その痩せぎすな身体に大きくて黒い乳首を見て途惑う場面は少し怖かった。
 豊胸手術を受けることが女としてどれほどの意味があるのか、「私」も、もちろん男の読者である自分もわからなかったのだが、その裸の場面には妙に腑に落ちるという感覚があった。
 それは若い盛りを過ぎ、娘に母乳を吸われて変貌したという乳首と、母親がそんなにまでして自分を生んだことにどうしても納得が出来ないとする娘を含めて、読む者にかなりの「痛み」を強いる場面でもある。
 本来なら見た目の痛さが巻子と緑子のぎこちない母子関係の象徴として捉えるべきものなのだが、具体的に豊胸手術によるシリコン注入やらヒアルロン酸注射やらによる痛みや、かかる150万の支出の痛みなど、現実的な痛みと相俟って様々な痛みを発散させている小説なのではないかと思えてしまうのだ。
 「私」の独白と緑子の日記で構成された、わざと句読点を曖昧にした大阪弁まじりの文体が独特の色を醸しているというのは認めるところで、それに対する批判もあるのかもしれないが、私は読んでいて助かった気分にはなった。
 それにしても「は、阿呆らしい、阿呆らしすぎて阿呆らしやの鐘が鳴って鳴って鳴りまくりすぎてごんゆうて落ちてきよるわおまえのド頭に」という大阪弁の強烈さ。笑ってしまいました。


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