◎ノックス・マシン

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◎ノックス・マシン
法月綸太郎
角川書店


 【上海大学のユアンは国家科学技術局からの呼び出しを受ける。彼の論文の内容について確認したいというのだ。その論文のテーマとは、イギリスの作家ロナルド・ノックスが発表した探偵小説のルール、「ノックスの十戒」だった。科学技術局に出頭したユアンは、想像を絶する任務を投げかけられる…。】

 昨年末に宝島社の「このミステリーがすごい!」でベスト1位になったのを確認し、すぐさま図書館に予約を入れた。一応ミステリ好きの端くれとして「このミス!」の上位作品ぐらいは押さえておこうかというところで、4か月待ってようやく手元に届いた次第。
 正直、法月綸太郎は既読の二作に関する限り相性の悪さを感じていた。本格探偵小説への志向はいいとしても、海外のクラシックミステリーへの傾倒が鼻につき、愛好家がそのままプロになったのはいいとしても、もう少し作家としてのオリジナリティがあってもいいのではないかと思っていた。これは法月だけではなく、島田荘司以後に台頭してきた所謂「新本格派」全般にいえることなのだが。

 ところが『ノックス・マシン』は本格ミステリーに非ず、何とSF小説だった。これには驚いた。私は小学生のころより何が苦手だったのかというとSF小説が苦手だった。SFといえば理解不能な科学用語が羅列して襲いかかってくるものだと決めつけていたのだ。
 だから長い間、私が読んだSF小説は筒井康隆と星新一だけだった。もっとも彼らが自らSF作家と名乗っていたのでSFということにしているが、筒井康隆や星新一の小説をSFだと思って読んだことは一度もない。
 その意味では、この『ノックス・マシン』は私が初めて読むSF小説だといってもいいのかもしれない。何しろ少年時代に私が恐れていた「理解不能な科学用語の羅列」そのものでこの小説は構成されていたのだから。

 「作家と読者の対戦を定式化した“二人ゼロ和有限確定完全情報ゲーム”のアルゴリズムを埋め込み、クンマーとヒューマヤンの物語生成方程式を再帰的に走らせて、ウィナー過程(連続時間確率解析)に於ける解の分布をマッピングする」

 残念ながら私はこんな文章を理解する素養もなければ、意欲もない。こりゃ困ったなと思いつつ、作家は理系出身の新人ではなく法月綸太郎。SF作家ではなく推理作家、いや古色然とした探偵小説の旗手だ。バリバリの文系ではないかと思い始めたとき、わけのわからん量子情報理論やら、精神波動走査やらは字面だけ追って、実は当の法月綸太郎も大して根拠なく書いているシャレだと決めつけて読み続けることに決めた。
 なるほど内容はSFだが、モチーフとなるのは間違いなく探偵小説だ。それと同時に『ノックス・マシン』が絶賛された理由もよくわかる。おそらくコアなミステリマニアたちはこれを読んで感涙ものだったのではないか。往時の探偵小説家や、その登場人物たちを登場させて物語を作る。その意味では私が先にあげた「海外のクラシックミステリーへの傾倒が鼻につき、、、」なる注文を突き破った先にある明確な回答を法月綸太郎は示したのかもしれない。

 ロナルド・ノックスによる「ノックスの十戒」はさすがに私も知っていた。1928年に発表された推理小説を書く際のルールだ。

 1.犯人は物語の当初に登場していなければならない。 2.探偵方法に超自然能力を用いてはならない。 3.犯行現場に秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。 4.未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない。 5.中国人を登場させてはならない。 6.探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない。 7.変装して登場人物を騙す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない。 8.探偵は読者に提示していない手がかりによって解決してはならない。 9.ワトスン役は自分の判断を全て読者に知らせねばならない。 10.双子・一人二役は予め読者に知らされなければならない。

 「ノックスの十戒」を最初に日本で紹介したのは江戸川乱歩らしいが、私は中学の時に読んだ藤原宰太郎の『世界の名探偵50人』で知ったと記憶している。因みにこの本は有名探偵小説の犯人をズラリと列挙する空前絶後の暴挙により今も語り草となっており、私がクラシックミステリーに疎いにもかかわらず犯人を知る元凶になっている。と、ついそんなことまで思い出してしまった。
 その「ノックスの十戒」についての議論や評価は様々だが、中学生ながらに不可解だったのが5項目の「中国人を登場させてはならない。」の件だった。
 19世紀のヨーロッパでは中国人は魔術を用いると思われていたという注釈もあれば、この「中国人」とは、言語や文化が余りにも違う外国人という解説もあるが、どちらもすっきりとしないのは確かだった。
 何と法月綸太郎はタイムマシーンが考案されている未来で、中国人研究者に「中国人」というキーワードで時空を超えるという発想を披露した。キーワードといえばエラリー・クィーンの「読者への挑戦」もアイテム化されるなど、その辺りはかなりやりたい放題、悪ノリを乱発して笑わせてくれる。
 惜しむらくはその科学的な根拠はまるでないことだろうが、逆にあったとするなら私ごとき科学音痴には手に負えないものになっていたに違いない。

 傑作だったのは「引き立て役倶楽部」の章。残念ながらメンバーのうち、ワトスン博士ぐらいしか知らなかったのだが、偶然、年末に『シャーロック・ホームズの冒険』を読んでおいて良かったと思った。
 ノックスも「ワトスン役は自分の判断を全て読者に知らせねばならない」とワトスンの固有名詞を出しているのだから、彼こそ史上最大の引き立て役には違いないのだが、その描かれ方が醜く老害を晒したもので、もしかしてヴァン・ダイン同様に法月綸太郎はワトスンが好きではないのかもしれない。
 古今東西、もっとも厄介で腹立だしいのは先入観に凝り固まった老人なのだから。


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