◎ストックホルムの密使

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◎ストックホルムの密使(上下)
佐々木譲
新潮文庫


 <太平洋戦争秘話三部作>の完結編は文庫版上下巻で900ページ超のボリューム。その圧倒するスケール感に、私はもはや佐々木譲を「警察小説の第一人者」と呼ぶことなど出来なくなっている。
 いやむしろ、これだけの連作を執筆しながらも後年に警察小説を我が手中にした作者の旺盛な創作力に大いなる敬意を表したい。

 【ベルリンが陥落した第二次大戦末期。孤立無援の日本では、米軍による本土空襲が激化し、戦局は絶望への道を辿る一方だった。日本政府はソ連仲介の終戦工作を模索するが、スウェーデンに駐在する大和田・海軍武官は、瀕死の日本にとどめを刺す連合国側の極秘情報を入手した。日本が滅亡する前に、その情報を軍上層部に伝えるべく、いま二人の密使が放たれた…。】

 この三部作は基本的にはどれから読んでも面白いが、やはり『ベルリン飛行指令』『エトロフ発緊急電』『ストックホルムの密使』の順に読み進めていくべきだろう。
 三作すべてに出てくる海軍省の山脇順三書記官と妻の真理子。第一作でベルリンまで零式戦闘機を飛ばした安藤啓一大尉。前作で日系の米国スパイ、ケニーを北の果てまで追跡した磯田憲兵隊曹長と秋庭憲兵少佐は本作にも登場する。三部作は太平洋戦争の進捗に推移する形で物語が展開していくのだ。

 この三部作を読むと、山脇など海軍省の事務方はイケイケの陸軍に対して、日米開戦については端から否定的だったことがわかる。
 それでも海軍は開戦やむなしとなって真珠湾の奇襲に雪崩れ込んでいく様は、史実の力学に抗うことが出来なかった日本の宿命を、佐々木譲がある種「神の目線」で綴っているといった方が的確なのかもしれない。
 欧米の列強が日本を追い込み、包囲して孤立させていったのは事実だろうし、そこに勝てるはずのない戦争を勝てると主張する力が加わったというのが開戦の実際なのだろう。しかしそうなるように仕組んだのは連合国だったのか、日本自身だったのか。
 もちろんゼロ戦が遥か彼方のベルリンまで旅立った牧歌的な英雄譚も、数年後には原子爆弾の投下という未曽有の悲劇で決着するという、戦争そのものの形が大きく変貌する時代の空気が通奏低音になっていることも見逃してはならない。
 第一作ではやや軽薄に描かれ、戦争そのものを冷ややかに傍観していた山脇も、本作では妻子を抱えて空襲の中を逃げ、憲兵隊の圧力の中に身を投じていく。この三部作での山脇のそれぞれの動きを見れば、佐々木譲が描きたかったことの一端が垣間見える。
 
 『ストックホルムの密使』も前二作同様に、戦争の時代の中で活躍した個人の話だ。そして前二作のそれぞれのヒーローが皆、国家にアイデンティティを帰属させていない男たちばかりだったのと同様に、本作のヒーローともいうべき森四郎もまた博奕打ちとしてパリの享楽の中に身を投じ、ゲシュタポによってドイツへ送還された後に国外退去となる無頼人として描かれている。
 しかし個人の話であろうと、無国籍な無頼人であろうと、彼らは連合艦隊が真珠湾を目指して択捉に集結する様をアメリカに打電する任務を全うし、原爆投下、ソビエト参戦の重大情報を持ってストックホルムから地球を半周して東京へと命懸けの国境越えを敢行する。その託された使命の歴史的になんたる重大なことか。
 そして『エトロフ発緊急電』では明らかにアメリカ政府の意図で情報は恣意的に隠ぺいされ、『ストックホルムの密使』では完全に握りつぶされてしまう。彼らの行動に対する結果は真珠湾攻撃と原爆投下で歴史が答えを出しているのだ。
 すでに結末が分かっている冒険壇をいかに面白く読ませるか。実はこの点に関しては私も読みながら気にはなっていた。

 しかし、小説はスウェーデン大使・大和田武官の密使となった森四郎と亡命ポーランド人の将校・コワルスキーの国境越えと、日本政府による終戦工作と本土決戦を主張する軍部の軋轢を同時進行させて、そのどちらも面白く読めた。
 森四郎とコワルスキーの連合国側の諜報網をかいくぐりながらのストックホルムからベルリン、スイス、ロシア、シベリアを越えて満州、東京までの密航劇は痛快この上なく、その途中でアクションあり、ラブストーリーありと冒険小説としてのクオリティは凄まじく高いのではないか。
 では何故、この二人は命懸けの大冒険をする羽目になってしまったのか。コワルスキーは亡命ポーランド人将校として、ドイツに蹂躙され、そして今またソビエトの実質支配に直面する祖国への思いがあり、そこで国家にアイデンティを持たない森四郎と衝突する。「男が身を捨てるべきものは、ほかにあるのか」「身を捨てるほどの祖国なんてものが、あるのか」と。
 そしてスイスの日本公使館に辿り着いて大和田武官の情報を伝えたことでお役御免としたい四郎に対してコワルスキーは「あんたが武官とマダムに約束したことは、ベルンにくることじゃない、戦争を終わらせることだったはずだ」という。四郎がストックホルムを立ったのは、大和田の妻・静子に懇願されたためだった。
 こんな具合に四郎はコワルスキーに引きずられる形で旅をともにすることになる。旅といっても死線ギリギリに銃弾の中をすり抜けていくような旅だ。
 そして、紆余曲折あり四郎はモスクワでオペラ歌手としてソビエトに亡命した小川芳子と運命的な再会する。・・・感想文がややストーリーの後追いになってしまっているが、こう書いているだけで物語のスケールが蘇ってくる。
 芳子との再会は四郎にとって、この旅に意味が生まれ、アンデンティティを発見する。「おれにとって、けっきょく、祖国とは、ひとりの女ということなのかな」と。日本が壊滅的な危機にあるという情報を握っていながらこの台詞はなかなかしびれさせてくれる。

 一方、山脇順三たちは終戦工作に奔走し、ポツダム宣言の解読に没頭する。講和後にも国体は維持できるのか、天皇制はどうなるのかと。
 「和平の交渉相手は、表向きは連合国側ではあるが、実際は、わが陸軍だと言い切っていいだろう。・・・東条が退陣したとはいえ、陸軍はいまだあのとおり、道理も通じぬ連中の巨大組織だ。・・・幼児をしつけるときのように、噛んで含めて、道理をわからせなければならん」
 日本はこんな状態だ。山脇の周辺にも憲兵隊の影がちらつく。首相官邸では将校が大真面目に竹槍やパチンコに似た武器を展示し、度重なる空襲の中でさえ、陸軍は本土決戦に賭けている。もともと大和田武官の情報など受け入れる土壌などなかったのだが、このあたりの実在の人物たちの駆け引きもまたこの小説の大きな魅力だ。
 日本に辿り着いて傷だらけの状態で憲兵に拘束された四郎が胸の内で独白する。
 「貴様らは、確実にあの情報を検討し、吟味し、政策決定に反映させているのだろうな。貴様たちがやらなければならないことは、ひとりの世間知らずの娘の恋の顛末を詮索することじゃないはずだ。密使を頼まれた男の、ユーラシア大陸横断のための詐術のあれやこれやを知ることではないはずだ。いまやらねばならぬ大事なことがあるだろう。ちがうか?」
 この四郎の叫びこそが『ストックホルムの密使』の一番のテーマなのではないか。ポツダム宣言が発布されてもなおソビエトの仲介を期待し、原爆投下後もなお本土玉砕に望みを託す軍部。国家とは意志を持った個人と比べ、なんと愚かなものなのだろうか。

 文庫本の帯にある“息もつかせぬドラマ!寝不足保証の名作、復刊!”のコピーは決して大袈裟ではない。


 

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