◎インビジブルレイン

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◎インビジブル レイン
誉田哲也
光文社文庫


 この作品も第一作の『ストロベリーナイト』同様に賛否相半ばするのではないかと思う。しかし明らかに第一作とは賛否の質が違う。前の賛否は所詮、グロテクスな描写に読者の生理がどっちに転ぶかという即物的なものだったのに対し、第四作ともなれば読者も姫川玲子の支持者が殆どであっただろうから、今度はある心理状態に陥った玲子の行動の是非という評価になるのか。とかく読者というものは自分が思うように主人公には動いて欲しいという心理が働く。ならば私は一応「是」の立場でレヴューしたいと思う。

 【姫川班が捜査に加わったチンピラ惨殺事件。暴力団同士の抗争も視野に入れて捜査が進む中、「犯人は柳井健斗」というタレ込みが入る。ところが、上層部から奇妙な指示が下った。捜査線上に柳井の名が浮かんでも、決して追及してはならない、というのだ。隠蔽されようとする真実―。警察組織の壁に玲子はどう立ち向かうのか?】

 コメダ珈琲、サンマルクカフェ、モスバーガーの3軒を梯子して一気に読破した。最後のページをめくり終わったときには思わず「姫川玲子よく頑張ったなー」と、胸の内で賛辞を贈っていた。
 それにしても、かなりゴツゴツとしたストーリーだ。様々な人物が抱える様々な事情、様々な事件。物語の時系列が微妙に変動する中で、「様々」が絡み合いながら物語が進行する。大まかに分ければ、孤独な青年がいて、ヤクザがいて、捜査一課にそれぞれのストーリーがあり、そのどのストーリーにも姫川玲子は絡んでいく。絡むことによって玲子はかつてなく迷走する。そして迷走することによって玲子自身のストーリーがかなりドラマチックになっていくのだが、そこに賛否の原因が生じる。
 短期間での集中読書ゆえに未だに姫川玲子の俄かファンである自覚を拭い切れていない私としては、正直、端正に仕上がった『ソウルケイジ』よりも、こういう物語を待っていたように思う。
 もともと姫川玲子は警察組織という男社会では孤立した一匹オオカミ的な存在でありながら、部下を束ねるリーダーとして親分肌なところも見せる。敵も多いが、味方も決して少なくはない。だからあらゆるストーリーに対応できる顔を持っている。それが玲子の面白いところで、私は最初にこのシリーズは女主人公ものではなく、ヒロインものだと定義したが、もちろん玲子は決してステレオタイプという意味でのヒロインでない。
 それでも過去作の中で様々な顔を見せて読者を魅了してきたヒロインがひた隠していたのが、ひとりの“女”としての顔であり、誉田哲也は玲子の中の“女”を描こうとしたのが『インビジブルレイン』の背骨になっている。私にはそれがゾクゾクするほど面白かったのだが、そう思わない読者もいるのかもしれない。

 かといって『インビジブルレイン』を諸手を挙げて絶賛しようとも思っていない。
 連作短編の『シンメトリー』に収録されていた『悪しき実』で暴力団社会に激しい憤りを覚えた玲子の決意は何だったのだ。と思える展開には正直拍子抜けした。
 しかも、その暴力団内部の描写が決定的に甘い。破門と絶縁の違いを説明する件などいかにも調べたことをコピーペーストしたなとツッコミを入れたくなる。もしかすると読者の私の方がその手の世界については造詣が深いのではないかとさえ思った。(因みに物語の発端で極道の牧田がチンケなトラブルのナシをつけに乗り込んだ組事務所が「第二飯干ビル」とあったので、ははぁ、きっと飯干晃一の一連の実録本を参考にしたなと勘繰ってしまったのだが、あながち外れでもないような気がする。)
 どちらにしても物語は極道と女刑事のならぬ恋物語へと発展してしまう。何ともハードルの高い設定を誉田哲也は構想してしまったものだ。
 その我らが玲子しゃん(井岡風)を迷わせた牧田という極道者については類型的だが、よく描けていたとは思う。本来憎むべきヤクザに対し「殺意」を抱えて生きていることに呼応した玲子の心情も私には十二分に伝わってきた。エキセントリックなヒロインなのだから、堅気の男では籠絡しきれないのも当然なのか。今野敏が『隠蔽捜査』シリーズで竜崎伸也に恋をさせて作品をぶち壊したケースとは訳が違う。
 許されぬことと知りつつ牧田に身を預けてしまった玲子の葛藤は間違いなくこのシリーズでも最大級のサスペンスだったと思うし、その伏線として国会図書館で過去の事件報道を調べる件で、被害者の女性がレイプされていたことを知って思わず吐き気をもよおし、顔に痒いくらいの熱を帯びるという描写が利いている。
 こういう過去の忌まわしい記憶と地続きの中で突然湧き上がる心身の欲望は高村薫が『照柿』で刑事・合田雄一郎を迷わせた描写を思い出させた。もちろん誉田哲也は高村薫ほど迷いを濃密に描いたわけではないが、女が男の心情を描く世界と、男が女を描く世界を対比するとなかなか興味深いものを感じる。

 さらに事件は重層的な展開を見せ、警視庁捜査一課の汚点という重大事案にまで発展していく。正直言えば第一作での事件の方がよっぽど警察組織の根底がひっくり返る大不祥事なのだが、誉田哲也は第四作にして、ついにここに踏み込んできたのかと思った。人気シリーズものの安定に胡坐をかこうとしない姿勢はヨシとするべきだろう。
 そこで炙りだされる警察組織の矛盾。そして(少しカッコよすぎたが)自ら汚名を着て、玲子たちに矜持を残して去って行く上司たち。

 暗い過去を持つ少年の孤独な殺意と、極道社会のありがちな跡目争いが重なり、それが警察組織の矛盾まで露呈させるに至るという重層的なストーリー。これだけドラマを盛りながらも姫川玲子を敢然と光らせた誉田哲也の筆致。
 なかなか結構なものを読ませてもらった満腹感で少なからず胃がもたれた気もするが、ラストで土砂降りの風景の中に牧田の面影を探しつつ、晴れ渡った空に新たな再出発を決意する玲子に今一度「姫川玲子よく頑張ったなー」のひと声を贈ってみたい。


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