◎のぼうの城

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◎のぼうの城
和田 竜
小学館


 私は当初『のぼうの城』の発音を『路傍の石』の「ろぼう」と同じだと思っていたら、「のぼう」は「でくのぼう」の略だという。「の」にではなく「ぼ」にアクセントをつけるわけだ。
 お恥ずかしい話、このような局地戦は歴史教科書に出て来ないこともあるが、私はこれを読むまで忍城も成田長親をはじめとする坂東武者たちもまったく知らなかった。そもそも秀吉と対峙する北条家が北条早雲を祖としていることは知っていても、鎌倉幕府の北条氏との違いもよくわかっていなかったのだ。神奈川県民として情けない話だが。

 【北条征伐を天下統一の仕上げと定めた豊臣秀吉から「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」と命じられた石田三成は、農民らを含めても二千の忍城に対し二万超の軍勢を率いて攻める。城主・成田長親は、領民から「のぼう様」と呼ばれ、泰然としている男。智も仁も勇もないが、しかし、誰も及ばぬ「人気」があった。そして城は簡単に落ちるはずだったのだが・・・。】

 まず小説内容とは別の話で苦言から。
 私は和田竜という作家のことはよく知らないが、『のぼうの城』は本屋大賞で湊かなえ『告白』に次いで二位だったということもあって、何となくタイトルは頭に入っていた。文庫化された時には読むかなと、一応射程に入れていたのだが、いざ発売されると単行本で330ページしかないスケールの小説が、文庫版は上下巻に分かれて店頭に平積みされていた。手にとってパラパラとページをめくると案の定、大きめのフォントに余裕たっぷりの行間。
 確かに今秋に映画公開が決定し、相乗効果が期待される中で500円よりも1000円で販売した方が売上げも倍増するのだろうが、こうも露骨に出版社の魂胆が見えてしまうのは如何なものだろう。
 金の話は別にしても、実際『のぼうの城』の小説世界は、既読と未読のページを測りながら読み進めていくことで、刻一刻と激戦の様相が変化する忍城攻防戦の推移がページの消化とともに実感できる効果があるのではないか。薄っぺらな上下巻で物語が一旦分断されてしまうのは、せっかくの読書に水をさすことにはならないだろうか。
 この作品だけではなく、最近はそんな本が多すぎる。少なくとも私はそれで買う気が失せて、結局、単行本を図書館で借りることになってしまった。

 その『のぼうの城』。単純に面白かった。これは時代小説というよりも史実に基づかれた歴史小説と呼ぶのが相応しいのだろうが、まず舞台となった忍城攻防戦がべらぼうに面白い。何故面白いのかというと「嘘みたいな史実」だからだった。ただの「嘘」なら大して面白いとは思えないが、「史実」であるという前提が面白さを倍増させた気がする。
 歴史小説の醍醐味は、作家達が膨大な資料を漁り、江戸幕府以前に編纂された記録を基に史実を踏まえながら、実在の人物の人間像や時代の「物語」を創作することにある。
 あくまでも小説として成り立っていなければならず、史実だけを並べたノンフィクションやドキュメンタリーであってはならないし、歴史学から逸脱した荒唐無稽なものにしてもいけない。歴史小説の作者は、頭の中で考えた嘘をつくのではなく、見て来たような嘘をつくセンスが要求されるのではないか。その意味では制約の多い小説手法だともいえるが、作家には歴史のアレンジャーとしての楽しさがあるのかもしれない。なにせ制約さえ守れば歴史上の英傑を自在に動かせるのだ。
 それでいて信長、秀吉、家康などの人物像を、我々は小説で描かれたイメージのまま日本史として学んできたのだから、小説家の影響力たるや絶大で、幾人もの歴史上の人物のキャラクターを決定づけてきた司馬遼太郎や吉川英治たちの仕事の偉大さを改めて思う。

 もちろん新人作家の範疇にある和田竜を司馬遼太郎と比べるのは少し酷だ。
 物語の面白さを、忍城攻防という史実自体の面白さに依存しているのが否めないばかりか、人物の掘り下げが浅く。歴史劇に求めたい重厚さにも乏しく、何よりも軽い。
ある意味「軽み」を狙ったのだとしても、人物の掘り下げが浅い言い訳にはならないだろう。
 そもそも原点が城戸賞受賞作ということで、もともと脚本として書かれたのだから、文学というよりもノベライズに近いノリではある。そう、映像を前提とした脚本だったことは、ある種『のぼうの城』の評価を決定付ける要素になってしまうような気もする。心理描写は脚本でいうト書き程度のもののようにも感じたし、肝心な描写も撮影現場で演出家と俳優の力量にお任せという雰囲気が見え隠れもする。
 もちろんその分だけ読者が映像を思い浮かべやすい構成になっており、長親を総大将とする成田藩の丹波、和泉、酒巻のキャラクターづけも明確で、歴史エンターティメントとして今の時代を象徴したものだといえなくもない。
 それゆえに史実の面白さを(今どきの表現を使えば)フューチャーして若い読者層に歴史小説の面白さを知らしめたという功績は大いに認めてもいいような気もする。

 この小説の主人公、成田藩・成田長親は徹底的に愚鈍なでくの坊として登場する。この長親のキャラクターの殆どは幼馴染の老中、正木丹波守英利の印象で語られていくため、その実体は最後までミステリアスで、読者である我々も「のぼう様」の不可解さを追いかけるうちにページをめくり、実は計り知れない将器があるのではないかと次第に思っていく。これが和田竜による史実のアレンジの見せどころなのだろう。
 これだけ面白い史実があるにもかかわらず、長親なる大将に知名度がなく、殆ど手垢がついていなかったのは作家にとって幸運だったし、目のつけどころの勝利だったといえるのではないだろうか。

 もうひとつ特筆すべきは、攻め入る側の石田光成、大谷吉継を単なる敵役としては描かず、歴史に名だたる二人の悲劇的な武将に対して作家が十二分に敬意を表していたこと。光成の純粋なばかりの青さは微笑ましく、吉継のキレ味鋭い懐の深さに愛着が感じられ、『のぼうの城』が単なる征服者と抵抗者の争いとしてではなく、忍城攻防戦という歴史の痛快さそのものがテーマであることは十二分に伝えることは出来ていたのではないだろうか。


 

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