◎さまよう刃

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◎さまよう刃
東野圭吾
角川文庫


 かつて極真空手の松井館長が「我々の拳は凶器そのものです。凶器を身に纏っている以上は常に心を律していなければなりません。しかし私の家族に何らかの危害が及ぼされたときには、躊躇うことはしないでしょう。法律の問題ではありません」という意味のこと語っていたのを思い出した。
 東野圭吾は『さまよう刃』でここに斬り込んだ。

 【少年たちに蹂躙され殺された娘の復讐のため、父は仲間の一人を殺害し逃亡。「遺族による復讐殺人」としてマスコミも大きく取り上げるのだが、世間の考えは賛否が大きく分かれ、警察内部でも父親に対する同情論が密かに持ち上げる。遺族に裁く権利はあるのか?】

 さて年内には、挫折したまま放置している『白夜行』の再読にいい加減取り掛からねばなければならないと思った。
 東野圭吾の小説を上げるたびに書いているのは、一旦ページを開いてしまうと忽ち物語世界にとりこまれてしまうのは、常にしたたかな計算にはめられているのではないかということ。こんな風に思ってしまうのも私個人の理系人間への畏怖感にも似たコンプレックスに違いないのだが、実際、東野にはストーリーを面白くさせていくための作劇方程式が何種類かあって、それが表層の展開だけではなく、どうやら登場人物の深層心理や読者の情動までに踏み込んでいく計算式をも編み出しているのではないかと思えてならない。もちろん現実の東野圭吾は常に生みの苦しみに喘ぎ、様々なプレッシャーの中で苦悩しているのだあろうから、甚だ失礼な話なのかもしれないが。
 しかしベストセラーを続けざまに量産し、映画やドラマなど次々と映画化されていく充実ぶりの陰には着実なマーケッティングとトレンドを捉えていく才能に秀でていることは間違いないだろう。もちろんエンターティメントの担い手として批判されることではないのだが、それでも『さまよう刃』の導入部において、15歳の女子高生が17歳の少年に拉致され、レイプされるくだりと、その父親が犯行現場で愛娘が蹂躙されるビデオを目の当たりにし、凄惨な復讐殺人へと繋がる場面はやりすぎではないかと思ってしまった。正直、17歳の少年に15歳の少女が慰み者にされ、それを少女の父親の目線で追いかけていく趣向には、面白主義に走りすぎたヒットメーカーの勇み足だと思えて、あまり気分のよいものではなかった。
 凶行に及ぶ不良少年たちの住居が足立区であることから、おそらく東野は80年代の終わりに日本中を震撼させた「足立区女子高生コンクリート詰め殺人」にヒントを得たのだと思う。あの事件の忌まわしさは筆舌に尽くしがたいほどで、私はあまりの被害者の理不尽に少年たちの実名報道に踏み切った「週刊文春」を指示したいくらいだった。同時にそれがマスコミの正義よりも拡販キャンペーンの一環であることが知れてしまい、その後に劇場映画やビデオドラマなどで映像化されていくにつれ、事件がみるみる興味本位になっていくことの方も不気味だった。そこで当代随一のエンターティメント作家が料理することによって完全な娯楽にしてよいものかどうか疑心暗鬼に囚われてしまったのだ。
 よって東野作品としては『白夜行』に続いて早々に読書から降りることも脳裏をよぎったのだが、このような私の単純なる不快感こそが前段に仕掛けた東野圭吾の計算だったことにしばらくして気がつくことになる。まったく前回の宮部みゆきといいストーリーテラーたちの術中に続けてはまってしまったようで苦笑するしかない。
 
 まずはこれを読むであろうOL、サラリーマンたちに17歳の少年たちへの怒りを存分に滾らせること。おそらく東野はここから始めなければならないと思ったに違いない。女子高生を鬼畜のごとく凌辱する少年たちに一切の情状の余地を与えずに、ひたすら愛娘の非業に打ち震える父親に感情移入させることで、その後の物語が成立していくのだ。
 そして、意図的に殺人を計画したわけでもない未成年者の狂気は「刑罰とはとてもいえないような判決が下され、未成年者の更正を優先すべきだ、というような、被害者側の気持ちを全く無視した意見が交わされる」そのことの是非を読者に問いかけていく。
 いや、是非を問いかけるのではなく、東野は少年法にまつわる賛否を相対するのではなく、はっきりと悪法の虚妄を訴えているように思う。東野を計算づくなどとやっかみ半分で評価する私ではあるが、ここはもの書きとして真摯に怒りをぶつけているのだと信じてもいい。私怨を描きつつも執筆への意欲をキープしたのは公憤ではないだろうか。
 『さまよう刃』というタイトルは、少年たちの狂気の刃があてどころなくさまよい、被害者である父娘の悲劇の刃が憎悪を滾らせてさまようのだが、実は事件を追跡する警察も激しく心情をさまよわせている。「警察は市民を守っているわけじゃない。警察が守ろうとするのは法律のほうだ」と自嘲しながらも、もちろん法治国家として復讐を容認することなど絶対に許されないという葛藤と向き合うことになる。この警察側の描写が物語に深みを与えている。
 さて追跡と逃亡の旅に出た父親の存在を知ることになる信州の女の描写は、主人公の復讐を幇助するための価値以上の役割を与えることはなく、平板な正義を振りかざす週刊誌記者と同様にこの小説にはギリギリの妥協点だったように思う。
 
 ところで傾向がそうさせるのか、私が読む本はかなりの確率で映画やドラマなどに映像化されている。この『さまよう刃』も今秋に劇場公開予定であることを読了してから知った。主要キャストなどおかしな先入観に囚われずに済んだのは大いに助かったのだが、おそらくこの原作の映画は観ることはないだろう。こういう物語を娯楽として享受するには自分の中でギリギリの線を越えていると思うからだ。


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